タイムライン 時間に触れるためのいくつかの方法 | TIMELINE: Several ways to touch time

田口かおり × 加藤巧「タイムライン」展についての往復書簡

展覧会の成立経緯について、本展の企画立案に携わった加藤巧、田口かおりが会期中にウェブ上で行った往復書簡を公開します。


加藤

今回の企画に繋がるお話をしはじめたのは約3年前だったかと思いますが、当時の現代美術作品の保存修復における田口さんの持っておられた問題意識や関心、経緯などをあらためてお聞きできますか?

田口

改めて振り返ると、いろいろな思い出が蘇りますね。

加藤さんとはじめてお会いしたのはちょうど前回開催されたあいちトリエンナーレの関連シンポジウムの時でしたよね。シンポジウムのテーマは「現代美術の保存と修復」で、私は、出展された作品群を例に取り上げながら、保存修復や将来的な再展示の可能性、という切り口からトリエンナーレ全体を改めて鑑賞した時にどのような課題が立ち上がってくるかについて、話をしました1。あの時のトリエンナーレでは、作品コンセプトの中に「修復」のキーワードが明確に打ち出されているものを含め、モノや土地に宿る記憶をどう取り扱うかをテーマにした作品が非常に多かったことが印象に残っています。
 現代美術の保存修復は、私があの頃からもっとも関心を持って取り組んできた研究主題のひとつでした。この分野には、いわずもがな、様々な難しさやデリケートな問題が絡んでくるわけですが、「作家が存命である」ということについてーあるいはそのために発生する対話や、修復段階での意思決定のプロセス、結果、作品に訪れる物理的・外観的な変化についてー、もう一段階深く考えたいと思っていました。そのためにも、作家の方々が、修復や保存という作業について、言い換えればご自身の作品の「寿命」や「延命」のようなことについて、どのようなことを考えておられるのかを伺う場が持てればいいなあ、というイメージがありました。実際、あいちトリエンナーレの際には賴志盛(ライ・ヅーシャン)氏2にメールインタビューさせていただいたりしたのですが、その時に彼に言われた「保存修復は自分にとって、作品にまつわる痕跡=traceを集めるものであってほしい」という言葉が印象に残っています。現代美術の分野で、おそらくは作品ごと作家ごとに様々なかたちで問われるであろう、「traceを集めるものとしての保存修復」とは、はたしてどんな作業であるべきなのか?と、あれこれ考えていたわけです。「collecting trace 痕跡をあつめる」というテーマで現代美術の修復シンポジウムを開催したらいいんじゃないか、登壇者はこんな感じで、など、当時、企んでいたのを思い出しました。

加藤

あらためて伺うと、忘れていたことを思い出しますね。少し前の2015年に僕は松本のawai art centerというスペースでの個展がありました。展示では金井直さんとトークをする機会があって。トークでは、私が取り組んできたエッグテンペラやフレスコなどを現代においても有効な手段として扱うための話や、瞬間的な筆致を微細な筆で置き直す私の制作方法と修復作業におけるリタッチとの共通性などについての話をしました。自分の制作の中に含まれている「リタッチ性」のようなものを考えているときにちょうど田口さんのご著書『保存修復の技法と思想: 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』が出版され、著書の中で触れられている「生命時間3」や「予防的保存修復4」のことについて考えることが、自分の制作だけでなくて今日の美術を取り巻いている多様な状況を考えるうえでも重要であるように思え、シンポジウムに伺ったのでした。シンポジウムでは、とても困難でしかし豊かなケーススタディが展開されていて、「これはもっと作り手や鑑賞者などいろんな人が一緒になって考えていくべき問題なんじゃないか」との思いを強くしたのを覚えています。
 田口さんとお話をするようになってしばらくして、「何か形になることができたら」というお話になっていきましたよね。田口さんが「シンポジウムでは事例報告などの話はできるけれど、その先の具体的な話をするにはどうしたらいいか」とおっしゃっていたのが印象に残っています。
 「展覧会」という形式を想像しはじめたのはいつごろでしたか?

田口

加藤さんのお話を金井先生から伺い、加藤さんにメールをお出ししたのを覚えています。
 チェンニーノ・チェンニーニのレシピで黄金テンペラの模写を一年かけてつくる、というのは、イタリアの修復学校の一年生の必修科目であり、チェンニーニが執筆した『libro dell’arte』もイタリアで修復士を目指す人間にとって必携の書なのです。もちろんこの本は「絵画を描くにあたっての技法書」ではあるのですが、なかば私のなかでは「修復士になろうとしている人か、研究者が読む古典」みたいなイメージがありました。加藤さんが、実際の制作の場で丹念にチェンニーニを読み込んで応用しておられる、ということを新鮮に感じました。
 展覧会、という形式を意識しはじめたのは、加藤さんとお話するようになって3回目くらいかなと思います。2回、大きなイベントがありました。
 1つめは、京大で、岡田温司先生が代表研究者をつとめておられる私たちの研究グループ5が主催したシンポジウム「アーティストが語る現代美術の保存修復6」に加藤さんがたくさんの若手作家の方をつれていらしてくださったこと。その時はばたばたっとしてあまりゆっくりお話できなかったけれど、沢山の方が——とりわけ若手の作家の方が「修復」というキーワードに反応してくださり、そこから派生して色々なことを考えて下さっていることを改めて知り、こういう方々となにか一緒に物事を考えていくプラットフォームみたいなものをつくりたいと思いました。シンポジウム、というかたち以外に、その方法を考えたいな、と。
 二つめのイベントは、私が東海大学で開いた国際シンポジウム「『臭気』の現代美術——制作・展示・保存・修復のケーススタディ」です7。私は司会だったので発表はしませんでしたが、このシンポジウムを開くきっかけとして井田照一の作品があったことを冒頭で話しました。変化していくもの、消滅していくもの、人間の介入を余儀なくされるもの、健康被害、権利をめぐる諸事情、再展示の困難。そんな様々な問題が国内外の美術館で発生しているという事例をここでも来場者と共有したわけですが、ここにきて、「じゃあ実際に展覧会を立ちあげてみて、なにができて、なにができないのかを考えてみるのはどうだろうか」と思いつきました。

展覧会を開催したいです、と加藤さんと話したときに、加藤さんが「展覧会はなかなか大変ですよ」とおっしゃったのですが、その言葉が今もよく蘇ります。

加藤さんが早速Slack(※Web上でのチームコミュニケーションツール。PCやスマートフォンにアプリケーションをダウンロードすることで、Webを介してグループチャットやダイレクメッセージ、データの共有などを行うことができる。)をたちあげてくださり、展覧会にご参加いただきたい作家のお名前や経歴を整理して挙げていってくださいました。その時、どんなことを考えながらリストを作ってくださっていましたか? また、井田照一の《Tantra》は最初から、ある意味展覧会のコンセプトの基盤となる作品だということで作品リストに入っていましたが、当時、井田作品へ抱いていた印象なども、よかったら教えてください。

加藤

チェンニーノ・チェンニーニ『libro dell’arte』は、私たちが使う絵具について考えるうえでひとつの基点を示していると思うのですが、田口さんが「修復の場では基礎文献」とおっしゃっていたのと相反して、制作者の中では広く共有されている文献とは言いづらいのが現状だと思います。現代の表現では様々な素材や方法を用いて制作をするようになってきているのに、絵画というフィールドでは良くも悪くもその素材を精査せずとも制作が可能なのですね。それはそれだけ世の中が便利になったということでもあるのですが。そういった状況の中で制作を続けていて、「材料」を基点に表現全般を捉え直していくことが様々な表現物をなるべく等価に見る方法だと思うようになっていきました。保存修復の場でなされているような、分析的に材料や技法や来歴を検討する方法は、制作者にとっても有益なものでは、と思いました。
 プラットフォームとして、であってもいざ展覧会を開催するとなると、研究会で展開されているような議論が途端に有限なものとして感じられてきます。予算や人員、場所、実際にあるあらゆる制約を引き受け、さらに制約の境界まで踏み込まなければやる意味はないと思うので。まず制約がない状態でたくさんのお話をしたと思います。
 意識をしていたのは、田口さんのお考えを展覧会という造形に落とし込んだうえで豊かな議論をできる状態を作るのにはどうしたらよいのか、ということでした。はじめのうちはテンペラやフレスコのような「オールドメディウム」とも呼ばれる伝統的な方法を現代的な表現の場に再召喚するような手つきを持った作家さんなどについて話していましたね(田口さんのメールを遡ってみたら「オールドメディウムの逆襲」とありました)。それが話しているうちにだんだんと「これは材料や保存だけの問題ではない」とねらいが絞られていきました。
 井田照一については「臭気」のシンポジウムまでは「戦後の版画の作家」という位置付けで、恥ずかしながらそれまで深く踏み込んで考えたことのない作家でした。しかしその制作について知るにつれて、人物や思考にもシンパシーが募っていきました。《Tantra》では井田自身の身の周りのものー砂や石、食べ物や体液に至るまでーがはりつけられていますね。僕も制作で使った卵の残りを食べたりしますし、カゼインをやっているときは乳製品をたくさん食べたりするようになったりして、それが制作のヒントになることもあります。気候や風土、もしくは体調などのチューニングが日々の制作に関わっているように感じていたので、制作が生の営みと切り離されずにあるということを直接的な形で体現していたのが当時の自分にとっての《Tantra》でした。
 そして、同時に最もある意味心配ごとでもあったのが、田口さんがどのように制作者が制作中の作家とコミュニケーションをとっていくのか、「介入」の問題についてでした。作品の成り立つところに修復の方がいらっしゃれば、少なからず制作に影響にするでしょうし、修復士の方々は介入の程度や仕方自体について非常にセンシティブに考えていらっしゃることを知っていたので、その部分に手をつけるのか、と。
 「プラットフォームを作る」というのは様々な立場同士のゆるやかな相互干渉があり得る状態になることを意味しているように思えました。「介入」というキーワードと本展の関わりについて、お聞きできますか?

田口

修復に携わる中で「介入」という言葉を使うとき、私がこれまでイメージしてきたものやコントロールしようとしてきたものは「物理的な介入の程度」でした。それが洗浄であれ、補彩であれ、構造強化であれ、額装の変更であれ、作品に触れるということは、つまりはその作品の生の在り方に触れてしまうことで、そこから、予期されていなかった新しい時間軸が伸びていくことになります。もちろん、そこにはリスクがあり、良いことばかりが起きるわけではありません。ただし、広く考えれば、私たちが作品を美術館で鑑賞することや、その前で呼吸をしていることだって、その作品への「介入」なわけで、「介入しなければしないほどいい」と単純に修復を全くしない方向へ舵を切るのではなく、介入をするのであればその理由と手段と目的をはっきりさせることが必要であると考えています。
 前置きが長くなりましたが、今回、展覧会を開催することになった時、作品に「物理的に介入」してしまうのではないかという心配は、実はあまりしていませんでした。記録の採取の方法はもちろん作家ごとに異なるものになるでしょうし、都度考えていかなくてはならないと思っていましたが、それはあくまでも作品の「外」にあるものであり、内に介入していくものにはならないだろう、と。まずは作家の方々の制作。それが終わってから、それをどのように記録するかを考える、と順序を決めていたので、素材について制作段階からより頑健なものを提案するとか、あるいは逆に脆弱なものを提案するとか、そういったことも、当初は全然考えていなかったです。作品の組成を明らかにする、という作業を記録の方法としては採用する可能性が高かったけれど、実際に出てきたものを公開するかしないかは、作家と話し合う中で決めていくべきこと、と考えていました。
 今振り返ってみると、加藤さんの作品制作の過程で私は一番「介入」したかもしれませんが、あくまでも技術的なことに限ってのことで、という線引きが私の中にあり、大きな葛藤はありませんでした。ただ、計測機械に合わせて作品のサイズが決まっていったり、使用する絵具が決まっていったり、という段階では、「本当に良いのだろうか」という迷いが少しありました。でも、諸々の制約をどう使うかは作家の加藤さんが選択することである、私は選択肢をお伝えして準備しよう、と頭の中を整理しました。そのようなわけで、私は今回の展覧会に関しては「介入」したという意識がそれほどないのです。「保存」か「修復」かでいえば、今回の展覧会は「保存」よりで、その意味では、「介入」よりは「維持」の性質が強いように思っています。
 ただ、未来のどこかで誰かが皆さんの作品に「介入」する必要が生じた時に、少なからず役に立つ基礎資料を作成しておきたい、という気持ちはありました。今もまだ、どういう風にこの展覧会全体の記録が残っていくと一番良いのかなあ、と迷いつつ考え中のところがあります。今後、どんな「介入」が行われるにせよ、作品がどのように制作され、どのように経年変化し今に至るのか、その生の軌跡が残されていることは有益であると思っています。ただ、どういう考えのもとで何を残したのか、意図を明確にすることで将来的に情報の活用がよりしやすくなると思うので、各作品について、まだまだ考えなくてはいけないと思っています。
 生の軌跡、という言葉を出しましたが、私からは加藤さんに本展覧会の名前「タイムライン」についてお伺いしたいです。色々と悩んだ末に加藤さんが名前をつけてくださいましたね。あるいは、重複する部分もあるかもしれませんが、この展覧会名の発想の根幹に、加藤さんのどのような展覧会イメージがあったのか、教えてください。

加藤

今回の展覧会が修復士である田口さんと作家である自分との対話から始まっていることは、個人の制作においても重要なことでした。これまで交換されづらかった技術や知識を今回の制作で往来させようという意図で、機器や測定条件の制約を受け入れ、転化することでできる図像を示すこと。この点でも田口さんとは大きく関わらせていただきました。
 さて、『タイムライン 時間に触れるためのいくつかの方法』という展覧会になっていった経緯ですが、こちらに関しても、田口さんとステートメントを何度も何度も往復させながら議論して行きましたね。タイトルを先に決めるのではなく、今自分たちに何ができるのか、また、まだ関わっていない他の職能を持った様々な方、鑑賞者の方々を含めてどのような設定をすると広がりのあるプラットフォームが作れるか、という内容面を重視していました。タイトルは後からついてくるだろうと。
 はじめの方で候補として挙げていたのが「生命時間」という言葉でした。井田照一《Tantra》が彼自身のライフログのような作品でもあったように、人間の生と作品の生をオーバーラップさせて見せることを意識していました。漢字ばかりで少々かたいなあ、とか少々専門的なニュアンスを持った言葉でもあることが引っかかりとしてありました。そこから、「時間」という形のないものを保存している事物のことや、その事物それぞれに違う時間の重ね方があること、そして日々私たちが意識するような過去から未来へという直線的で非可逆的な時間の捉え方だけでなく、現在から過去へ、または未来へ、もしくはいろんな時間のあり方が偏在するような状態を作れれば、と考えが進んでいきました。
 何かにタイトルをつけるとき、音楽を聴きながら考えることがあるのですが、展覧会に仮タイトルをつける段階では「時」とか「time」という言葉の入った音楽を聴いたりしていていました。ナラティブだったり音楽的な要素を介することで展覧会の構成が想像しやすくなることもあるので。聴いていたのは『Time After Time』(シンディー・ローパー)とか、『Image Of TIme』(竹村延和)とか、ザ・タイマーズ(忌野清志郎の率いた4人組の覆面ロックバンド)とか笑。「タイムライン」というのはクラムボンの曲なんです。「タイムライン」というと、元々は年表のような、時系列に並べていくイメージが一般的だったと思います。それがSNSなどの普及で言葉の捉えられ方が変わってきた。SNSのタイムラインは、基本的に自分のものしか見えなくて、複数の他者のものが同時にあって、それらがふとしたときに同期したりすることもある。その様子がクラムボンの歌詞からイメージしやすかったのだと思います。一度仮置きとして「タイムライン展(仮)」として実行委員会もスタートしましたが、その後の議論で紆余曲折もあって結局この言葉に戻ってきましたね。そのときに「時間に触れるためのいくつかの方法」という言葉を添えることで、複数的でさまざまな時間のあり方に触れる方法としての「制作」や「保存修復」や「記述」や「鑑賞」といった営みをあらためて示すというねらいを明確にしようと思いました。

展覧会のイメージとしては、まず作品の表面=目に見えているもの と、裏面=目に見えていないもの を同時に示す、言い換えれば作品の物質的側面を示すというイメージがありました。作品の話は、ともすれば表面に現れている図像の話が優先されてしまいがちですが、同時に物質的な情報を持っていたり、それが緩やかに変化したりしています。井田照一の言う「Surface is the between」を全体の構成に応用することで、物質的な情報や記述方法も、作品と等価な事物として展示空間内で取り扱うことができるのではないかと考えました。

記録について、あらためてお聞きしてもよいでしょうか?
 展覧会の趣旨にも関わることですが、今回の展覧会に関わる記録を「作りながら残す」ことについて、今回特に意識しています。田口さんはどのような点を残そうと考えていらっしゃいますか?また、逆に「何を残さないか」についても今のお考えをお聞きできますでしょうか?

田口

「生命時間」は、私がイタリアの修復学について研究をしている過程で出会った「Tempo-Vita」という言葉を訳したものです。生命時間、という言葉が翻訳として適切なのかどうかは議論が常に待たれるところですが、作品の「生」がいつ始まり、いつ終わるのか、またその過程において修復がどのような関わり方をすべきかを考えるにあたって、大事なキーワードであることは間違いなく、この展覧会を立ち上げる中でも色々なヒントをくれる言葉になってくると予感していました。ただ加藤さんもおっしゃるように、どうしても「硬い」印象はありましたよね。
 今となっては、この展覧会が「タイムライン」と名付けられたことを、とても良かったと感じています。
 ご指摘のように、SNSが普及していく中で「タイムライン」の語が日常に入り込むようになってきて、一見レトロフューチャーな「タイムライン」という響きが、違和感なく会話の中でも聞こえてくるようになりました。そんな今、この展覧会が、コンセプトや作品たちをもって2019年現在の「タイムライン」という語の印象をかき乱し、可能性を多方向に広げながらも、新しい考え方への軽やかな入り口になってくれていたら、と思っています。

「記録」についてですが、今回の展覧会では作家の方々と会話をしながら、どのような記録を採取していくか、方向性を定めていくことができる、というのが一番興味深い点だと思っています。その話し合いの中で「残さない」という作家の意図が明確に出てくるのであれば、それを尊重しながら、「ではこの作品が2019年4月-6月の間にここに確かに存在した」という未来の史実を、どのように伝えることができるだろうかと考えることを意識しています。私自身に関していえば、作品を取り巻く全ての物事について、あえて「残さない方がいい」という判断をすることはおそらくこの先もないと思います。どのような情報であれ、いつか、その作品について考えたり、研究をしたり、あるいは再展示をしたり、修復をしたりする時のよすがになるはずなので。
 でも、だからといって、作家が全てを「残さなくてはいけない」とは、当然のことながら考えていません。作家の判断に寄り添いながら考え、「残すべき」と判断されたものについては、技術的に何ができるのかを考え提案し実行する、というのが、修復に携わる人間の務めではないかと考えています。具体的に「残す」ことにしたものや、「残さない」ことにしたもの、この展覧会後に出てくると思いますが、たとえ「残さない」と決めた場合にも、なぜそれを残さなかったのか、その意思決定のプロセスが記録としてあるのとないのとでは、大きく違ってきますので、それは少なくとも語りとして残せたらと考えています。もちろん、そういった意思決定の過程含めて何も残さない、という作家の判断もあると思いますけれども。
 展覧会も後半戦に入りましたが、加藤さんには、改めて、この展覧会において「キャプション」というものが果たしている役割について、展覧会隠れNGワードの「ミクストメディア」との関連も含めて少しお話いただけたら嬉しいです。

加藤

全てをそのまま、残すことができればそれが一番いいという理想がありながら、様々な制約の中で時に、残すものを選ばなければならないことがあり、何かの優先順位を下げなければいけないことがあることがあります。そんな中でも「残さない方がいいという判断をすることがおそらくない」という田口さんのお答えは作り手にとって非常に心強いもののように思います。これから、今回の展示作家さんとともに記録について考え、残し方について判断していくことがこの展覧会のもうひとつの成果物となっていきそうですね。

「キャプション」についてですね。今回の展覧会では、「ミクストメディア」ひいては「インスタレーション」というような表記について改めて疑いをかけました。これらの言葉は、「素材」や「形式」を示しているようで、ほとんど具体的な情報を記していないと思っています。今回の井田照一をのぞく参加作家は、「ミクストメディア」や「インスタレーション」といった言葉が一般化した美術の状況を通過しながら制作を立ち上げて活動してきた方々です。特に最近では、「ミクストメディア」のような多種の素材ーときに失われやすい(エフェメラルな)ものをも組み合わせて表現されたものたちが今振り返られ、見直されはじめています。そんな中、これからも物を作り、表現をしていく人たちがどのようなスタンスを持ってこの世にモノを残していけばいいか、という問題を投げかけてみるべきだと考えました。このような考えを参加作家の皆さんにも話したうえで、最終的な作品についての表記方法(=キャプション)については個々のご判断にお任せしました。結果的に、「作品に使用されている材料の実際について具体的に記す」ということ以上に「各作家が自身の作品の成り立ちをどのように分節しているか」が見えてきたように思います。キャプションに記された「使用材料/技法」から、制作時の意識や作品の構造についても読み取ることもできるかもしれません。これらの記されたハンドアウトは会場で配布され、またウェブや冊子という形でも公開を検討しますが、そうすることで、複数の形態で記述された作品の情報が世に残ることとなります。鑑賞者の記憶、という形態も含めて。こうした意識的な記録や記述の方法が、どこか別の場所でなされる展覧会などでもひとつの例として機能すれば良いな、と思っています。そういう意味では、作品の情報を現在可能な範囲でオープンソース化する試みともいえるかもしれません。

また、様々な形態で作品の情報を記録することは、時代の中のイデオロギーに左右されづらい自立した状態を作るひとつの方法にもなり得ると思っています。今生きている私たちはそれぞれ別のバックグラウンドを持った個体で、それぞれの嗜好、思想、理念を変化させながら生きているかと思います。また同じように、私たちを取り巻いている常識や正義なども、時代によって移り変わるでしょう。そんな中、意識的に記述することが作品の捉えられ方を「経年変化」しづらくする方法になり得るのでは、と感じています。作品についての具体的な情報があり、多角的に検討できる状態があれば、作品のあり方が著しく捻じ曲げられるといったリスクをいくらか減らすことができるかもしれません。
 ともあれ、「作品の記述」は未来の受け手を想像し、情報を残す方法のひとつだと位置付けています。

田口さんが今回、現代に生きている作家と一緒に展覧会を作っていったことでどのようなことを感じられましたか?

田口

現代に生きている作家の方々と一緒に仕事をする、ということを、実は、私は初めて体験しました。修復をする間の調査期間、関係者や作家のご家族の方々にお話をお伺いしに行くことはあっても、作家ご自身はすでに亡くなられているという事例ばかりでしたので。そういう意味で、作家の方々とお話をしながら、どういうドキュメンテーションが可能なのか、イメージを膨らませたり会話を交わすことができるのは大変新鮮な気持ちがしました。
 印象的だったのは、私が保存修復の専門家という自分の立ち位置から展覧会に関わるにあたって、制作の技法やあり方を制限するような踏み込み方をすまいと決めていたのと同じく、作家の方々も、それぞれの作品のドキュメンテーションの取り方に対しては、私にある程度お任せしてくださっているように感じたことです。お互いの領域からお互いを尊重しながら展覧会を作っていきましょう、というような・・・うまく言えませんが、その距離感も、緊張感と協働感と互いへの配慮があり、とても興味深いもののように感じていました。もっともっととことん話し合って決めてもよかったかもしれませんが、第一回目として、まずは試みてみましょう、という例としては、良かったのではないかと。
 さらには実行委員のメンバーとして、今回は𡈽方さんと加藤さんが展覧会の全体の形を作るということでも柱となってくださっていたので、作家と修復側、というおつきあいだけではなく、実行委員同士、というおつきあいもずっと続いていました。そういう意味では、一緒に色々な問題を話し合い、意見を交わし合い、諸々の課題を乗り越えてくる中で培われた信頼感というものが絶対的にあって、作家と修復側、という触れ合い方よりも一段深い階層があったと感じています。私自身、展覧会を作るということに関しては完全に初体験でしたが、お二方が経験豊富だったので、持っておられる知識や経験に終始、助けていただきました。その中で改めて思ったのは、「現代美術の保存修復という分野は、こういう、現在進行形で展示を動かしている方々(什器や空間の使い方、搬入・搬出に関しての様々な経験を有しており、臨機応変に対応できる方々、webの構築方法や応用方法に詳しい方、必要に応じてプログラムを組んだり、開発もできる、というような)と一緒に考えていかないことには立ち行かない」ということです。修復という仕事の中で求められるものがどんどん大きくなってきていて、欠損を充填するとか、変色について対応するとか、剥離したものを再接着するとか、そういった仕事だけではなくなっている。とりわけ現代美術の世界では、作品をどう展示空間に置くのか、さらにはそれをどう記録するのか、そしてそれをどう公開するのか、様々な知識と応用力、実践するだけのノウハウが求められていると思います。そういったことができる方々と今回ご一緒できたのは非常に勉強になったし、今後、様々な事例で、一緒に力を合わせてまたお仕事ができれば(さらにはそれを積み重ねて情報を公開していければ)、日本の現代美術の保存修復になにがしか貢献できる成果に繋がっていくのではないか、と可能性を感じています。

  • 1 シンポジウムは9月18日(日)14:00より、名古屋市美術館 2階講堂にて開催された。パネリストは天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員)、岡田温司(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、田口かおり(当時、日本学術振興会特別研究員/東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター)。モデレーターは金井直(信州大学人文学部准教授)。
  • 2 賴志盛(ライ・ヅーシャン)はこの時のトリエンナーレで《境界・愛知》を出品した。名古屋市美術館地下に展示された《境界・愛知》は、展示室が完成する前後の、廃材やゴミが散らばった状態そのものを作品として立ち上げて(再現して)いる。
  • 3 生命時間(Tempo-vita)は、近代イタリアの美術批評家、ウンベルト・バルディーニらが、芸術作品の「生」のあり方について論じる際に用いた用語。田口かおり『保存修復の技法と思想: 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』を参照。
  • 4 作品や資料の将来的な保存のために、その周囲の環境を総合的に整え、被害を予防し、に被害が生じないように環境を総合的に整えて被害を予防する取り組みは「予防的保存(preventive conservation)の名で1980年代から知られるようになってきている。チェーザレ・ブランディが1960年代に示した「予防的修復(Preventive restoration)」の概念は、その基盤のひとつとなったと考えられる。
  • 5 「現代美術の保存と修復——その理念・方法・情報のネットワーク構築のために」(日本学術振興会科学研究費助成事業研究・基盤研究(A))
  • 6 シンポジウムは2017年3月20日に京都大学吉田南キャンパスの人間・環境学研究科棟地下大講義室にて開催された。パネリストは宮永愛子(現代美術家)、岡崎乾ニ郎(造形作家、美術批評家)、藤幡正樹(メディアアーティスト)。モデレーターは岡田温司。
  • 7 シンポジウムは2018年6月17日に湘南キャンパスのTechno Cube(19号館)オープンマルチアトリエで開催された(https://www.u-tokai.ac.jp/about/campus/shonan/news/detail/post_783.html)。パネリストは、ロジャー・グリフィス(ニューヨーク近代美術館(MoMA)修復士)、アンドレア・ザルトリウス(ヴォルフスブルク美術館修復士)、アンドレア・ザルトリウス氏、イ・ウォノ(造形作家)。モデレーターは田口かおり。

WEB上でのチームコミュニケーションツール「Slack」で展覧会期間中5月21日から6月13日に行われた対話を基に構成。