田口かおり × 加藤巧「タイムライン」展についての往復書簡
展覧会の成立経緯について、本展の企画立案に携わった加藤巧、田口かおりが会期中にウェブ上で行った往復書簡を公開します。
加藤 | 今回の企画に繋がるお話をしはじめたのは約3年前だったかと思いますが、当時の現代美術作品の保存修復における田口さんの持っておられた問題意識や関心、経緯などをあらためてお聞きできますか? |
---|---|
田口 | 改めて振り返ると、いろいろな思い出が蘇りますね。 加藤さんとはじめてお会いしたのはちょうど前回開催されたあいちトリエンナーレの関連シンポジウムの時でしたよね。シンポジウムのテーマは「現代美術の保存と修復」で、私は、出展された作品群を例に取り上げながら、保存修復や将来的な再展示の可能性、という切り口からトリエンナーレ全体を改めて鑑賞した時にどのような課題が立ち上がってくるかについて、話をしました1。あの時のトリエンナーレでは、作品コンセプトの中に「修復」のキーワードが明確に打ち出されているものを含め、モノや土地に宿る記憶をどう取り扱うかをテーマにした作品が非常に多かったことが印象に残っています。 |
加藤 | あらためて伺うと、忘れていたことを思い出しますね。少し前の2015年に僕は松本のawai art centerというスペースでの個展がありました。展示では金井直さんとトークをする機会があって。トークでは、私が取り組んできたエッグテンペラやフレスコなどを現代においても有効な手段として扱うための話や、瞬間的な筆致を微細な筆で置き直す私の制作方法と修復作業におけるリタッチとの共通性などについての話をしました。自分の制作の中に含まれている「リタッチ性」のようなものを考えているときにちょうど田口さんのご著書『保存修復の技法と思想: 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』が出版され、著書の中で触れられている「生命時間3」や「予防的保存修復4」のことについて考えることが、自分の制作だけでなくて今日の美術を取り巻いている多様な状況を考えるうえでも重要であるように思え、シンポジウムに伺ったのでした。シンポジウムでは、とても困難でしかし豊かなケーススタディが展開されていて、「これはもっと作り手や鑑賞者などいろんな人が一緒になって考えていくべき問題なんじゃないか」との思いを強くしたのを覚えています。 |
田口 | 加藤さんのお話を金井先生から伺い、加藤さんにメールをお出ししたのを覚えています。 展覧会を開催したいです、と加藤さんと話したときに、加藤さんが「展覧会はなかなか大変ですよ…」とおっしゃったのですが、その言葉が今もよく蘇ります。 加藤さんが早速Slack(※Web上でのチームコミュニケーションツール。PCやスマートフォンにアプリケーションをダウンロードすることで、Webを介してグループチャットやダイレクメッセージ、データの共有などを行うことができる。)をたちあげてくださり、展覧会にご参加いただきたい作家のお名前や経歴を整理して挙げていってくださいました。その時、どんなことを考えながらリストを作ってくださっていましたか? また、井田照一の《Tantra》は最初から、ある意味展覧会のコンセプトの基盤となる作品だということで作品リストに入っていましたが、当時、井田作品へ抱いていた印象なども、よかったら教えてください。 |
加藤 | チェンニーノ・チェンニーニ『libro dell’arte』は、私たちが使う絵具について考えるうえでひとつの基点を示していると思うのですが、田口さんが「修復の場では基礎文献」とおっしゃっていたのと相反して、制作者の中では広く共有されている文献とは言いづらいのが現状だと思います。現代の表現では様々な素材や方法を用いて制作をするようになってきているのに、絵画というフィールドでは良くも悪くもその素材を精査せずとも制作が可能なのですね。それはそれだけ世の中が便利になったということでもあるのですが。そういった状況の中で制作を続けていて、「材料」を基点に表現全般を捉え直していくことが様々な表現物をなるべく等価に見る方法だと思うようになっていきました。保存修復の場でなされているような、分析的に材料や技法や来歴を検討する方法は、制作者にとっても有益なものでは、と思いました。 |
田口 | 修復に携わる中で「介入」という言葉を使うとき、私がこれまでイメージしてきたものやコントロールしようとしてきたものは「物理的な介入の程度」でした。それが洗浄であれ、補彩であれ、構造強化であれ、額装の変更であれ、作品に触れるということは、つまりはその作品の生の在り方に触れてしまうことで、そこから、予期されていなかった新しい時間軸が伸びていくことになります。もちろん、そこにはリスクがあり、良いことばかりが起きるわけではありません。ただし、広く考えれば、私たちが作品を美術館で鑑賞することや、その前で呼吸をしていることだって、その作品への「介入」なわけで、「介入しなければしないほどいい」と単純に修復を全くしない方向へ舵を切るのではなく、介入をするのであればその理由と手段と目的をはっきりさせることが必要であると考えています。 |
加藤 | 今回の展覧会が修復士である田口さんと作家である自分との対話から始まっていることは、個人の制作においても重要なことでした。これまで交換されづらかった技術や知識を今回の制作で往来させようという意図で、機器や測定条件の制約を受け入れ、転化することでできる図像を示すこと。この点でも田口さんとは大きく関わらせていただきました。 展覧会のイメージとしては、まず作品の表面=目に見えているもの と、裏面=目に見えていないもの を同時に示す、言い換えれば作品の物質的側面を示すというイメージがありました。作品の話は、ともすれば表面に現れている図像の話が優先されてしまいがちですが、同時に物質的な情報を持っていたり、それが緩やかに変化したりしています。井田照一の言う「Surface is the between」を全体の構成に応用することで、物質的な情報や記述方法も、作品と等価な事物として展示空間内で取り扱うことができるのではないかと考えました。 記録について、あらためてお聞きしてもよいでしょうか? |
田口 | 「生命時間」は、私がイタリアの修復学について研究をしている過程で出会った「Tempo-Vita」という言葉を訳したものです。生命時間、という言葉が翻訳として適切なのかどうかは議論が常に待たれるところですが、作品の「生」がいつ始まり、いつ終わるのか、またその過程において修復がどのような関わり方をすべきかを考えるにあたって、大事なキーワードであることは間違いなく、この展覧会を立ち上げる中でも色々なヒントをくれる言葉になってくると予感していました。ただ加藤さんもおっしゃるように、どうしても「硬い」印象はありましたよね。 「記録」についてですが、今回の展覧会では作家の方々と会話をしながら、どのような記録を採取していくか、方向性を定めていくことができる、というのが一番興味深い点だと思っています。その話し合いの中で「残さない」という作家の意図が明確に出てくるのであれば、それを尊重しながら、「ではこの作品が2019年4月-6月の間にここに確かに存在した」という未来の史実を、どのように伝えることができるだろうかと考えることを意識しています。私自身に関していえば、作品を取り巻く全ての物事について、あえて「残さない方がいい」という判断をすることはおそらくこの先もないと思います。どのような情報であれ、いつか、その作品について考えたり、研究をしたり、あるいは再展示をしたり、修復をしたりする時のよすがになるはずなので。 |
加藤 | 全てをそのまま、残すことができればそれが一番いいという理想がありながら、様々な制約の中で時に、残すものを選ばなければならないことがあり、何かの優先順位を下げなければいけないことがあることがあります。そんな中でも「残さない方がいいという判断をすることがおそらくない」という田口さんのお答えは作り手にとって非常に心強いもののように思います。これから、今回の展示作家さんとともに記録について考え、残し方について判断していくことがこの展覧会のもうひとつの成果物となっていきそうですね。 「キャプション」についてですね。今回の展覧会では、「ミクストメディア」ひいては「インスタレーション」というような表記について改めて疑いをかけました。これらの言葉は、「素材」や「形式」を示しているようで、ほとんど具体的な情報を記していないと思っています。今回の井田照一をのぞく参加作家は、「ミクストメディア」や「インスタレーション」といった言葉が一般化した美術の状況を通過しながら制作を立ち上げて活動してきた方々です。特に最近では、「ミクストメディア」のような多種の素材ーときに失われやすい(エフェメラルな)ものをも組み合わせて表現されたものたちが今振り返られ、見直されはじめています。そんな中、これからも物を作り、表現をしていく人たちがどのようなスタンスを持ってこの世にモノを残していけばいいか、という問題を投げかけてみるべきだと考えました。このような考えを参加作家の皆さんにも話したうえで、最終的な作品についての表記方法(=キャプション)については個々のご判断にお任せしました。結果的に、「作品に使用されている材料の実際について具体的に記す」ということ以上に「各作家が自身の作品の成り立ちをどのように分節しているか」が見えてきたように思います。キャプションに記された「使用材料/技法」から、制作時の意識や作品の構造についても読み取ることもできるかもしれません。これらの記されたハンドアウトは会場で配布され、またウェブや冊子という形でも公開を検討しますが、そうすることで、複数の形態で記述された作品の情報が世に残ることとなります。鑑賞者の記憶、という形態も含めて。こうした意識的な記録や記述の方法が、どこか別の場所でなされる展覧会などでもひとつの例として機能すれば良いな、と思っています。そういう意味では、作品の情報を現在可能な範囲でオープンソース化する試みともいえるかもしれません。 また、様々な形態で作品の情報を記録することは、時代の中のイデオロギーに左右されづらい自立した状態を作るひとつの方法にもなり得ると思っています。今生きている私たちはそれぞれ別のバックグラウンドを持った個体で、それぞれの嗜好、思想、理念を変化させながら生きているかと思います。また同じように、私たちを取り巻いている常識や正義なども、時代によって移り変わるでしょう。そんな中、意識的に記述することが作品の捉えられ方を「経年変化」しづらくする方法になり得るのでは、と感じています。作品についての具体的な情報があり、多角的に検討できる状態があれば、作品のあり方が著しく捻じ曲げられるといったリスクをいくらか減らすことができるかもしれません。 田口さんが今回、現代に生きている作家と一緒に展覧会を作っていったことでどのようなことを感じられましたか? |
田口 | 現代に生きている作家の方々と一緒に仕事をする、ということを、実は、私は初めて体験しました。修復をする間の調査期間、関係者や作家のご家族の方々にお話をお伺いしに行くことはあっても、作家ご自身はすでに亡くなられているという事例ばかりでしたので。そういう意味で、作家の方々とお話をしながら、どういうドキュメンテーションが可能なのか、イメージを膨らませたり会話を交わすことができるのは大変新鮮な気持ちがしました。 |
- 1 シンポジウムは9月18日(日)14:00より、名古屋市美術館 2階講堂にて開催された。パネリストは天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員)、岡田温司(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、田口かおり(当時、日本学術振興会特別研究員/東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター)。モデレーターは金井直(信州大学人文学部准教授)。
- 2 賴志盛(ライ・ヅーシャン)はこの時のトリエンナーレで《境界・愛知》を出品した。名古屋市美術館地下に展示された《境界・愛知》は、展示室が完成する前後の、廃材やゴミが散らばった状態そのものを作品として立ち上げて(再現して)いる。
- 3 生命時間(Tempo-vita)は、近代イタリアの美術批評家、ウンベルト・バルディーニらが、芸術作品の「生」のあり方について論じる際に用いた用語。田口かおり『保存修復の技法と思想: 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』を参照。
- 4 作品や資料の将来的な保存のために、その周囲の環境を総合的に整え、被害を予防し、に被害が生じないように環境を総合的に整えて被害を予防する取り組みは「予防的保存(preventive conservation)の名で1980年代から知られるようになってきている。チェーザレ・ブランディが1960年代に示した「予防的修復(Preventive restoration)」の概念は、その基盤のひとつとなったと考えられる。
- 5 「現代美術の保存と修復——その理念・方法・情報のネットワーク構築のために」(日本学術振興会科学研究費助成事業研究・基盤研究(A))
- 6 シンポジウムは2017年3月20日に京都大学吉田南キャンパスの人間・環境学研究科棟地下大講義室にて開催された。パネリストは宮永愛子(現代美術家)、岡崎乾ニ郎(造形作家、美術批評家)、藤幡正樹(メディアアーティスト)。モデレーターは岡田温司。
- 7 シンポジウムは2018年6月17日に湘南キャンパスのTechno Cube(19号館)オープンマルチアトリエで開催された(https://www.u-tokai.ac.jp/about/campus/shonan/news/detail/post_783.html)。パネリストは、ロジャー・グリフィス(ニューヨーク近代美術館(MoMA)修復士)、アンドレア・ザルトリウス(ヴォルフスブルク美術館修復士)、アンドレア・ザルトリウス氏、イ・ウォノ(造形作家)。モデレーターは田口かおり。
WEB上でのチームコミュニケーションツール「Slack」で展覧会期間中5月21日から6月13日に行われた対話を基に構成。
RECORD
- シンポジウム Vol.1 タイムライン展解題——制作・展示・作家からの声を中心に
- 井田照一《Tantra》未公開作品(調査作品)
- シンポジウム Vol.2 タイムライン展をふりかえる——現代美術の保存・修復・記録をめぐって
- 加藤巧《To Paint (heavy metal) #01》と《〈To Paint (heavy metal #01)〉を記述する》について
- 「タイムライン」展 大野綾子作品の搬入・搬出・展示
- 大野綾子《ねがう人、たてる人》2017年 1300×3600×600mm 砂岩 梱包・輸送・展示仕様書
- 「タイムライン」展 搬入記録映像
- 「タイムライン」展 井田照一作品展示替え記録映像
- 「タイムライン」展 搬出記録映像
- 会場マップと配布テキスト
- 田口かおり × 加藤巧「タイムライン」展についての往復書簡
- サテライトイベント「作りながら保存すること——タイムライン展の事例から」
- this and that 『STAYTUNE/D』『タイムライン——時間に触れるためのいくつかの方法』記録集刊行記念トークイベント「綴じて、開く。——記録集のためのいくつかの方法」
- 大野綾子さんインタビュー
- ミルク倉庫+ココナッツ、梶原あずみさんインタビュー