タイムライン 時間に触れるためのいくつかの方法 | TIMELINE: Several ways to touch time

大野綾子さんインタビュー

  • 参加者:大野綾子、田口かおり、加藤巧、𡈽方大
  • 2021年2月7日(日)11:00–13:00

記録集を手に取っての印象について

田口記録集を手に取っていただいての感想をお聞きかせください。
大野まず、全体的に雰囲気が良くて読みやすかったです。文字が多いカタログって私、あんまり読めないんですけど。この記録集はほんとに読みやすくて、良い意味で楽に読めた本でした。展覧会の入りからそれぞれの作家の分析が入って最後に皆さんの寄稿、という流れもとても良かったと思いますし、今までにあまり見たことないものになっているので、新しさを感じました。ひとつの研究資料にもなっているので、かなり価値があると思うし、これを見て学ぶ人や参考になる人はたくさんいるんじゃないかなと思いました。
でも、欲を言うなら、作品の写真がもっとあっても良かったかと、個人的には思いました。全体像とかディテール感とか、寄りの写真があれば、展覧会がどういうものだったのかが具体的にもっと分かりやすくなったかなと。
田口ページ数の制約がある中で、なるべく価格を押さえて、多くの方々に手に取ってもらえるように考えてたどり着いたのがこの形でした。大野さんのおっしゃることはよくわかります。この記録集は展覧会カタログではないけれど、カタログと捉えて手に取る方も多いはずで。その方々にとって、この作品写真の少なさは許容範囲なのかどうか、作家の方々のことを思えばもっと作品のビューを入れるべきなんじゃないか、という点はずっと話し合っていた部分でした。
大野読んでいて楽しかったです。1人ひとりの作家の作品の立ち上がり方とか、その考え方に触れられるような感じがして面白い。「こういう展示でした」というだけじゃないというか。「こういう展示をするために作家はどういうことを考えて作品をつくり出しているのか」っていうことに触れることができる感じがしました。
加藤ここまでの記録に、企画の初期段階から付き合ってくださる作家さんっていうのは少ないと思います。もちろん差し支えあったら言ってくださいねっていう話はしたんですけど、嫌な人は嫌かもしれないし。「恥ずかしい」とか、ポリシーがある方もいらっしゃるかもしれない。その中で参加してくださった方々は、皆さん快く協力してくださるというスタンスだったので、このようなことができたんだと思います。ありがとうございます。
大野自分の資料として大切にしていこうって思います。自分の展示が他の場所である時に、必ず人に見せたいなと思いました。

作品のハンドリングレポートについて 変化している彫刻制作の現場について

加藤作品の搬入出のハンドリングレポート(記録集p. 19)などについてはどう思われましたか?
大野「どうやって運んだの?」ってよく聞かれるんですよ。口で言ってもやっぱり分からないじゃないですか、(素材が)石とかだと。「こうやって、三叉でこうやって」って言っても、「はあ」って。見たことなかったら想像もできないですから。だからこういうのがあると、「おー」ってなりますよね、これは。すごいありがたいです、だから。
加藤𡈽方さんはハンドリングレポートなどの資料があると設営は楽ですか?
𡈽方そうですね。やっぱり(読んで)「ああ、了解です」っていうのがすぐ(あるので)
加藤こういったレポートは、別の作品を設営する場合でも役に立つものですか?
𡈽方この作品はこう扱う、というのが分かる感じですね。作品1点1点に個別に対応しなくてはいけないから、同じやり方で全部やれるわけじゃないですけれど。
田口「ハンドリングレポート的なもの」、つまり展示の手立てを示すような資料というのは、作品に付随することが少ないんでしょうか。
大野うーん。あまり見たことがないですね、私。
田口確かに、美術館の所蔵作品でも(ハンドリングレポートが)ついていないものも多いです。以前関わった展覧会でも、巨大な彫刻について「なんとか門型で吊ってくれ」みたいなことしか指示がなくて、ええ、もうちょっと何かあるでしょう、みたいな。
加藤現場感覚なんですね。
田口重量情報に土台の重さが含まれていないこともあります。簡易的な必要最低限のレポートであっても、正確な情報が記載してあると展示する側としてはありがたいですよね。
大野そうですね。
𡈽方作家が生きてると、本人だったり所属スタジオのスタッフだったりが現場に来て指示したり一緒に作業したり、みたいなケースが多いと思うんですけど、作家が亡くなっているなど、どうしようもない状況も結構ありますね。
大野だよね。だからね、そういうのを一緒に残していくって、ほんとに大切なことで。
田口加藤さんがおっしゃっていたことですが、映像で記録が残っていることは大きいなと思っています。「こうやって組み立てるよ」っていう指示書があっても、手書きの字が乱れていて読めなかったり、写真がピンボケしていたりといったこともあるので。誰がどう動いて、作品をどう動かしているのか、たくさんのアングルからの記録映像があると助かります。
大野映像で残ってたらいいですよね。ほんとに、そういうふうに。
田口とはいえ映像の再生機器もいつまで残っているかわからないので、紙資料も、映像も。
大野そうですね。両方あるといいですよね。

石のような重量物を扱う知識を養う機会がなくなっていっている

大野うん。なんか、石動かせる人とかだんだん減っていくような気がするし。
𡈽方免許が厳しくなったっていうのがあるのかな、それでもう学生には使わせられなくなってきてる。100キロ以上はやっぱり触らせられないっていうか。まして、それ以上の何トンとかするようなものとかは、そもそも扱わなくなってきてる。
田口それは面白いですね。(扱う素材が)軽くなってるんですか。
𡈽方軽くなってる。
加藤単純にスタイロフォームでつくっちゃうとかそういう話ですか。
𡈽方そうですね。立体を作りたかったら石よりスタイロフォームの方が軽くて加工が速いという理由だったり。
加藤大事だと思うんですけどね、石。教えに行く大学でも、石の先生、彫刻の先生とかって減っていて、かつ、移転を想定している大学だと、そもそもその設備を。
𡈽方つぶしちゃう。
加藤そう。でもそれは結構な損失だと思うから。次は誰がやるのって思ったら石屋さんにしか技術が残らないっていう。
大野ただのテクニカルアドバイザー的な感じで、職人さんが入る仕事になっちゃったらってことですもんね。
𡈽方この間、武蔵美の工房を見に行ったら、工房を管理してるのは石屋さんをやってた人と、木材屋さんをやってた人でした。場所の管理と技術に関する指導みたいなのはおじちゃん2人がやって。教員は表現に関する指導してるみたいな感じで。そのバランスはなんだか良いなと思いながら。
大野海外の美大は結構そういう感じだって聞きますよね。作品の思考性などを教える教授がいて、技術の面ではテクニカルアドバイザーがいて。木の切り方とか石の扱い方とかそういうのを教えるだけの人がいるっていうのは聞いたことがあります。
加藤そうですよね。イギリスで滞在制作をしていた大学はそういう感じで、石の工房管理する人、そこの場合は石の先生もちゃんといるんですけど。壁の彫刻とかレリーフとかそういうのをやったりとかするような人、石の修復だったりとか、木工、ギルダー(金箔の職人)、技術のある人がそれぞれいたりっていう状態だから。工房管理の人と教える人が、また別だし。
大野技術ができる人にいろいろ教えてもらうのはいいと思うけど、いっぱい失敗して、結局生まれてきたものが作品になっていくから、なんか賛成できない部分もあるというか。その場所が安全で、危険じゃなければいいのかなっていう時代だったんですよね、私たちが学生のときは。だけど、今は怪我とかしたらNGって感じだから。女子美なんか結構免許取らせますね。ホイストクレーンと玉掛け。そしたら自分もでっかいの扱っていいよって天井クレーンやらせたり。もちろん教員が見ながらなんですけど。そういうふうに、自分で動かすってことをやっていかないと。重い作品扱ってるのに自分で動かせなかったらどうするのって。
加藤だから、制作が続けられないんですよね。
大野ねえ。卒業したらどうするのって感じですよね。重いものを動かせたら、スタイロフォームの動かし方も絶対変わるはずだし。そういうことができるからこそ、軽いものの扱い方が変わってくるんじゃないかなって思うから。自分はすごく危険なことをいっぱいやってきたから。
落ちるとき、石ってすごい早くて。どーんっていくんですよ。だから、逃げる準備を必ずしておく、みたいなのって大事で。そういうのが分かんないとね、結局指挟んだりとか、そういう事故につながるんじゃないかなとか思っちゃうけど。
加藤やっぱり継続してやってる人がいないと。
大野ですね。石を、ずっと大きいものを扱ってきた人って応用力が利くっていうか。他の人の作品って重心がどこかとか全然分かんないんですよ、私はね。難しくて。こっちかな、こういう感じかなとか試しながら学生の作品も一緒にやったりするんですけど、自分の作品をどんどん動かしてきた作家が動かすと、一発でできたり。こういう方法でやるんだとか、今だに全然私は勉強段階っていうか、やっぱり経験でしかないんだなって感じる部分は大きいですけどね。
𡈽方石屋さんや木材屋さんは、中心ここなんだ、っていうのを一発ですぐ見極める感じとかすごいですよね。
大野すごいですね。
田口積み重ねの上でしか身に付かない技術があるっていうことですね。
大野でも、石を彫る人が少なくなっていくから。もういいんじゃないって感じなんじゃないですか、きっと(笑)。多分、どんどん扱う人が少なくなってきている存在の1つっていうか。
𡈽方うちの大学に石をカットするめちゃくちゃでかい丸ノコみたいなのがあるんですけど。
大野大口径?
𡈽方そう。そのメンテナンスを頼んでた業者が、秋田から撤収しちゃって、新潟から呼ばなきゃいけないとか大変なことになって。あと、石も買えないんですよね。結局こっちだと。
田口買えないっていうのはどういうことですか。
𡈽方関ヶ原(関ヶ原石材株式会社)とかにはいろんな種類の石が集まっていて、買い付けに行ったりするんですけど。
大野輸入トレードがあるんですよね。海外からの、イタリアとかインドとかの石もそこに来てるんですよ。
𡈽方こっちだと採掘所はあっても、材料としての石材の大きいものがなかったり、そんなに大きいものを掘り出さなかったり、あんまりちゃんと販売ルートがなかったりして。彫刻するための石を買う場所が少ないですね。素材が手に入らないことにこっち(秋田に)来て結構びっくりした。関東、関西だったら業者があって、バリエーションがあるっていう感じ。

コロナ禍における制作材料の流通の変化や制作環境の変化について

田口コロナの影響で移動が難しくなったりとか、物流に支障が出てきたりなど、各方面で聞きますけど、石に関してはいかがですか。
大野去年は石を直接買い付けに行くことがなかったんですけど、大学で揃えなきゃいけないタイミングがあったりして、さっき話が出た関ヶ原だとか、茨城とかに学生は他の先生と買いに行ったりしてました。普通に流通はあって、コロナの中でも変わらずにできたようですね、石は。コロナでなくなったりするような素材ではないっていうか。山があれば石があって、切り出す人がいなければなかなか我々の手には届かないですけど、そこにあるっていうこと自体が別に不安ではないというか。山があれば。山があったり大地があるっていうことが目の前の真実だと思っています。
加藤結構輸入が難しい、物流の関係で品薄になってるものってたまにあって、ある土地で採れたものを別の土地で加工して、商品になったものをまた船便に乗せて、他の地域に運ぶ。だからその間に、いちいち障壁がある。で、どこかの物流が滞ったりとかしてると遅れて。それで、ハブになってる港とかでも遅延があったり混んだりしてると、またそれで遅くなっていくっていうのがあって。あんまり仕入れが難しい時期が続くと、その材料を使う制作は後回しにしようかなとか、別の材料でなんとかしようかなとか。そういうことが個人的にあったので、それでちょっとお聞きしたかったんです。
大野なるほど。ないなあ。
加藤石はそういう影響はなかったんですね。
大野ないですね。どうだろうな。例えば石を切るための大口径のダイヤモンドカッターがあるんですけど、それをつくる業者がいっときちょっとストップしたっていう話は聞いたけど、それもなんかこう、だいたい持ってるんでね、みんな(笑)。少しの時間はしのげるっていうか。別にその道具で切れなかったら手で彫ればいい素材でもあるから、これがなければできないっていうようなことも、あんまりない素材なのかもしれないですね、もしかしたら。

コロナ禍における制作や生活の変化

田口今年(2020年度)は大変な1年で、美術の世界でも展覧会が中止になったり延期になったりが続いたなか、大野さんはどんなふうにお過ごしだったかなっていうことを伺おうと思っていたのですが、となると、そこまで大きな変化はなかった?
大野そうですね。どちらかといえば私生活のほうですね。ちょうどコロナのときに妊娠していて、昨年の10月に出産したので、結局動けないことが良かったなっていうか、妊娠段階であんまり外に出なかったんで、家でできること、見ることをやってたって感じなんですけど。だから、楽っちゃ楽だった部分もあって、妊娠してるとなかなか積極的に石を彫れる状態でもないっていうか。なので、映像作品つくったりとか、そういうことをやったりしてましたね。あと、ドローイング描いたりとか。制作においてはそういう感じでしたけど。
田口ある意味ではタイミングが良かったこともあったのでしょうか、大きな不便はなかったですか。
大野そうですね。あんまり不便だとは思わなかったかな。作品を見たいっていう気持ちはどんどんどんどん強くなっていって。それはやっぱちょっときつかったかなって思うんですけどね。まあね、子どももいるし、仕方ないかなっていう部分もあったけど。
田口加藤さんと𡈽方さんは、ずっと私たちはこうして会ってるから今さら聞くのもなんですけど、去年はどうでしたか。
𡈽方大変でしたね。春夏の予定が全部秋にずれちゃって。11月ぐらいからばたばたで。春はスケジュール調整やらオンラインに関する知識、機材をガッと詰め込まなきゃいけなくて。助成金関連が多すぎてそれも面倒くさかったですね。対面よりも書類をいっぱいつくんなきゃいけない、みたいな。おかげで機材は揃ったんですけど。あとは、例年だったらいろんなところに行っていたんですが、移動が制限されて。秋田に人を呼べなくなって、結構それはつらいですね。
田口今は、ちょっとずつは呼べるようになってるんですか?
𡈽方呼べないですね。校舎の中に県外の人は入れちゃ駄目っていう感じ。でも校舎外だったら良くて、ギャラリーや大学が運営してる施設だったら別に問題ないけど、大学入れないってなると結構いろいろ制限かかって、やりづらいですね。
田口加藤さんもいろいろ大変な状況?
加藤𡈽方さんと似たような状況ですけどね。5月とか6月とかそのあたりは予定を組み換えたりオンライン対応、今までやってきたことをオンラインに切り替える。で、その変換コストが結構あるっていうか。そういうのに追われて。自分の生活もそれで組み換えなきゃいけないから、それが大変だったし、𡈽方さんも言うように10月11月が、もうなんか、わけ分かんないというか。
大野(笑)。爆発。
加藤𡈽方さんも多分似たようなことかもしれないですけど、何かをやったらそのぶん結果が出るようなことじゃなくて、シャドウワークがすごく多いんですよね。書類仕事とか、すでにある資料をオンライン用に変換するとか、そういうことが多くて、やきもきしますよね。内容はすでにあるのにって。そしてその変換コストは個人が背負わなきゃいけない。これに関しては手当なども付きにくかったから、精神的にも自分が頑張るしかない、みたいな気持ちになってて。それはしんどかったかな。あとは意外と、大野さんがおっしゃってたみたいな、展覧会見れなくなるのって意外としんどいんだなって思いましたね。
𡈽方ああ。彫刻がほんとに見れなくなって。映像や写真はネットに上がってくるけど、物質への欲望が満たされない。
大野そうですね。
加藤やっぱり(実物を)見なきゃいけないんだなって。以前から思ってはいたけど、実際にこうして移動が制限されて、たとえ自分にとってフィットしないような展示でも、見ないよりは全然良かったんだなと気づかされたというか。展示を見ることが自分のやってることを相対化したりするのに役立ってたから、やっぱり実際に見たほうがいいなって。すごく思いました。
大野確かにそうですね。
𡈽方展覧会を見に行くとなると秋田は仙台とかに青森とかに行かないと見れないし、都心部へ行くとなると戻ってきた時に結構大ごとになっちゃって。
加藤そうですよね。行ける時期がすごい限られてましたよね、空気感として。10月11月はちょっと移動してもいいのかなって雰囲気になりかけてて。でも自分の予定が忙しくて、これが終わったら行こう、これが終わったら行こうって思ってるうちに、また感染者数が増えてしまって。結局、気にしてたけど行けなかった展示も結構多かった。
大野私も忘れてたけど、大学とかでほんとに全部リモートになったから、そういえば大変だったなって今。2人の話を聞いて思い出した。石彫の授業を持ってるんで、それをどうやってリモートでやるかっていう難題を突きつけられて、2月3月ぐらいに。え、どうする、みたいな。
加藤どうしてたんですか?
大野すごい変な授業なんですけど。うちの大学は、2年生のときに、石とか金属とか粘土とか紙とか、いろいろな素材を扱う授業をやるんですね。で、3年次でちょっと専門的に分かれていくっていうカリキュラムなんです。で、その2年生の取っ掛かりで石彫を教えるという大事な授業を担当しているんですけど、石を扱えない彼女たちに何を教えたらいいのかっていうのが難題で。今は石が彫れないので、石っていうことを考えさせるしかないなって思って。石と全く違う材料をまず送ろうっていうことにして、紙だの何だのそのへんにあるものはテンション上がらないから、でっかいこんな黄色いスポンジがあるんですけど、モノタロウとかで売っているこんな分厚い。切って洗車に使ったりするらしいんです。それをどーんって送って(笑)。家にあるものとそのスポンジを組み合わせて石をつくるっていう授業。
𡈽方めっちゃ面白いですね。
大野例え失敗したとしても面白く失敗しようっていって。考えた末がその授業だったんですけど、結構面白かったですね。
田口どんな作品が。
大野ピアノの鍵盤に組み合わせたり、片栗粉をスポンジにかけたりとか、あとは、スポンジと樹脂を使って風景つくったりする子もいたし。石って言っても概念的な石っていうことじゃなくて、石から考える自分のイメージだったりとか、考え方だったりとかを形にするっていう、めちゃくちゃ難しい授業。
田口難しいですね。
大野だから様々な作品がありました。それが動物になる子もいれば人になる子もいたり。すごく柔らかい抽象的な形をつくる子もいたりとかして。話すきっかけをものからとにかくつくらないと、毎日毎日もたないんですよ(笑)。だから、実技ってほんとに楽だったなと思って。ものがあれば話せるけど、それがないと、思考の、何ていうんですかね、呼吸をさせないと発展していかないじゃないですか。だからもうほんとにこれは大変だなって今、そういえば思い出しました。そういう変な授業をやりました。
田口こういう機会がなければ生まれなかった発想と作品があるわけで、それは貴重ですね。
加藤面白いし、なんか前向きにそういういろいろ実験ができる反面、もうちょっと(リモート期間が)長いとしんどいですよね。
大野そう(笑)。これがぎりぎり。田口さんは、もうずっとリモートで授業されてたんですか。
田口そうですね。基本的にリモートの授業で、美術館で作品を見る点検もリモート。
大野こういう感じですか、じゃあ。
田口海外の人がPCの向こうで私が点検する様子をリモートで見守っている、という状況もありましたし、逆に見守るっていうこともあって。大変なのは時差。16時ぐらいに始めると向こうがちょうど朝で。開始時間が遅いと終わるのも遅くなることもありますし、あと、美術館の収蔵庫だったり会場が、基本的に堅牢過ぎてWi-Fiが必要な状況を想定してないこともあって。全然音声が聞こえなかったり途切れたりするんですよね。
一同(笑)
田口最終的に音声が切れたり画面が固まっちゃったり画質が悪くて向こうから詳細が見えなかったりチャットも落ちたりするんで、画用紙に大きな文字で最低限伝えたい情報を書いて、筆談したりもしました。リモートで筆談。
𡈽方めっちゃ面白いですね。
大野直接見られないままで状況を把握するって、すごいつらそう。大変そうですね。
田口身体感覚の翻訳が難しいというのは感じました。緩衝材の硬さや、梱包のタイトさなど。その場で触覚を共有できないので。

状況の変化から、大野さんが今作ってみたいと考えている作品について

田口動きづらい、停滞気味、っていう状況がもうしばらく続くかなという雰囲気がありますよね、今。以前、大野さんにインタビューをさせていただいたときに、「人や空気が流れていたり動いていたりするシーンをつくりたい、つくることができたら面白い」とおっしゃっていたのが、印象に残っているんです。なかなか現実的に動きが取れない時代、こういう状況を大野さんがどういうふうにご覧になっているのか、そして今後作りたい作品について、伺いたいです。
大野そうですね。率直に今どういう作品をつくりたいかっていうと、やっぱりでっかい作品をつくりたいっていうのが1つある。あと、何か動く作品を展開したいです。静止している映像や写真であれば、なんとなくこういうものだなって分かると思うんですけど、これが例えば動いてたりとか変な動きをするものだったら、なかなか実際に見ないと分からなかったりすると思うし。やっぱり、なかなか作品を見れない今の状況だからこそ、ほんとに気を付けて見てもらいたい、実際のものを。自分もやっぱり足を運んでその作品を見ることをしたいって感じるので。っていうか、作品を見るってこと自体がやっぱりその「もの」だけを確認するんではなくて、結局そこにいる人の空気感だったり空間だったり、状況だったり、そういうものを全て捉えることで作品っていうものが成立してるんだなって、改めて認識させられたっていうか。やっぱり分からない部分はすごくあって。だから、自分で体を動かして、大きなものをつくったり、作品を見せるっていうことの面白さだったり馬鹿さ加減だったり、そういうものを改めて大切なこととしてつくっていきたいなって思います。結局、作品を思考し続けるっていうことが止まらないというか、自分の中で動き続けることの1つだから、例えば体が外に行けなかったとしても、思考はやっぱ動き続けてなくてはいけないなと思うんですよね。
で、例えばこういう、人が外に出ていい状況ができたときに、考え続けていなければ素早く行動できないような気もするから、静止してるっていうことをあんまりネガティブに捉えずに、その中で思考するっていうことを続けていれば何か、続けることが大切なのかなっていうふうに考えてますね、ほんとに。
それに、私生活で妊娠していたので、どんどんお腹が大きくなっていくことが、やっぱり人が動いてるっていうか大きくなって成長していることに気付かせてくれたっていうか。止まってないっていうか、それがもう、目に見えて分かってくる。なんかこう、動き続けている人がいることが私の中で何かが変わっていってる部分でもあるし、結局それが生まれてきて今度、家族が1人増えて。止まることがないんだなって、そういうふうに感じた去年の1年間だったかなって振り返ると思いました。
田口すごく腑に落ちますね。やっぱり子どもが胎内で育っていくっていうのは何よりも大きい変化ですよね。そして考え続けているっていうことが実は大事で、どういう状況であってもやらなきゃいけないことはそんなに変わらないのかなって。
大野ほんとそのとおりですね。そういうのって作品に多分表れるっていうか。人が動くシーンだったりとかって、急にやろうと思ってもつくれないもの。そういう準備をいろいろ、アンテナをたくさん張って入れとくと、作品がうまくいくかなって思ってますね。作品が語ってくれることが増えるっていうか、深さになってくれればいいなっていう願望ですけど。ストップすることはないのかなって思いますね。

今タイムライン展で出展した作品をどんな状態で保管しているか

田口今、作品がどういう状態にあるのか伺っていいですか。タイムライン展では博物館の展示ケースをお使いいただいたわけですけれど、今後こういう見せ方もありかな、など考えていらっしゃることとかがあれば、ぜひお伺いしたいです。
大野今あの作品らは、具体的に言うと、持ってきた木枠に入ってて、プチプチ梱包材で巻いて、箱に入って、梱包材で巻いて、ラップでぐるぐるで、そしてブルーシートに囲われて、外です。
田口完全に密閉、梱包された状態で屋外に。
大野そうですね。屋外に今置いてて。でも湿気るんですよね、それでも。ちょっと地面から上げて置いてるんですけど、やっぱり湿気るんですよ。だから、ほんとは木ではつくりたくないなって思うんですけどね。豊富な財力があれば、もっといいものでつくっておきたいなって。まあ湿気は平気なんですけどね。もしちょっとかびたとしても修復は簡単というか。水で洗うか、ちょっと少し削るとか、そういうことで落ちていくので全然問題はないんですけど、そういう状況にあって。で、屏風型のほうは梱包されて室内に保管されている状況です。
で、そうですね、あと今度の、もし違う何かをやるんであればっていうご質問ですけど、いろいろ考えてみたんですけど、基本的になくて。いろいろ、水中とか面白いかな、なんて思ったりしたんですけど、あんまり考えたことがなかったんです、その質問いただいたときに。基本的にないなっていうのが結論で。どういう状況になっても展開できるように準備をしておきたいなっていうことのほうが重要で、そのときに例えば、今回もちょっと過去作だったですけど、草のやつと人体を一緒に展示するとか、組み合わせることだったり、組み合わせないことだったり、いろんなその引き出しの中からだったり、新しいもの追加したりとか、なんかそういう部分でこう、どれとどれがこの状況には合うんだろうかっていうことを考えたいから、もちろんその、これをこうやってみたいっていう強いものがあればいいんですけど、あの作品に関してはなんかなかなか思い当たらなかったっていうのが、っていう感じで。今後展示するとしたら、それに合うか合わないかっていうことを考えるっていうか。組み合わせたり引き算したりっていうことでどう見えるのかっていうことを、挑戦していきたいなっていうふうに感じています。
加藤タイムライン展で展示した、同じ組み合わせを発表することはほぼないですか?
大野うん。二度とないと思います、多分。で、ああいうケースに入るのが、多分もうなかなかできないと思うし。あれはすごい、結構気に入ってたんですけど。考えればいろいろあるんですけど、あの「寝そべってる女」のほかにもう1つ「泳ぐ女」っていうのもあって、なんかそういう、女シリーズを対面で見せてみても面白いかなとか。それはやっぱりさっき言ったように、組み合わせるとか引き算するとかっていうことにつながるのかなって思うんですけど。環境や状況について具体的なものっていうのはちょっとないんですけど、そのときに何か考えていけたらいいなって。それができなければ駄目だなとも思う。それができないんであれば、いけないなって自分の中では思ってます。
田口あの展示ケースもそうですよね。実際にご覧いただいて、「これは面白いから、じゃあ使ってみようか」って、大野さんが言ってくださって、すごく面白い展示のプランになったから。その場その場で展示する場の条件によってまた新しい、これでやってみたらっていう発想が生まれて、組み合わせてとしても想定していなかったようなものが生まれてきて、っていうことが、きっと今後もありますよね。
大野そうですね。うん。それで新しいことができたらすごく自分にとっても、いいっていうか。それができたのがタイムライン展だったので、石の見え方が変わったので、私の中で。ああいうガラスケースに入れたりすることで見え方が変わったりして、ほんとにプラスになったことだったんですね。
加藤記録集にはそこまで載ってないんですけど、実際の展示では博物館のほうにも鉱物があったりとか。そういうことにも、関連があって。準備段階の打ち合わせで大野さんに現場に来てもらって、什器とかも一緒に見たりとか、空間の感じとか、展示の流れも見て、それでああいう展示になってるっていう。
大野そうですね。そうでした、そうでした。
加藤だから、こういう場所だからこう展示しようっていうのは、普段から考え続けてないとそれぞれの場所に反応できないっていうのが。
大野そうですね。だと思いますね、ほんとに。おっしゃるとおりだと思います。つくったものを持って行くだけなんて簡単なことで、自分がやりたいことではないんですよ。もちろんつくるものって大切ですけど、それがどういうふうに、どういう在り方で人に提示されるのか、自分も見たいのかっていうことが大切なことだし、むしろグループ展とかだったらもっともっといろんな人の考えが集約してくる空間になってくるから。どういう目的でどういう展覧会で、どういう人たちに見せていくのかっていうこととかを考えながらつくっていかないと、あんまり新しいものにはならないんじゃないかなって。「その場」っていうものをどんなふうに捉えていくのかっていうのはすごく大切なことだし、彫刻家が考えていかなければいけないことなのかなっていうふうに勝手に思ってます。