ミルク倉庫+ココナッツ、梶原あずみさんインタビュー
- 参加者:ミルク倉庫+ココナッツ:宮崎直孝、松本直樹、篠崎英介、坂川弘太、西浜琢磨、田中丸善一・梶原あずみ(2019年時点、ミルク倉庫+ココナッツ在籍)
- 質問者:田口かおり、加藤巧、𡈽方大
- 2021年2月7日(日)14:30–16:30
完成した記録集を手に取った感想、展示を振り返って
田口 | 記録集について。作品の立ち上がりから展覧会が終わったあとまでの流れが見えるような、そういう本を目指して今回つくってみたんですけど、お手元にもう届いていますか。ご覧になられての感想や印象、プロジェクトをご一緒して振り返ってみて、書籍化されたものをご覧になってどうあらためて思われるか、いかがでしょうか。 |
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松本 | じゃあ、まだ手元にない僕から。見せてもらうと、基本的にはカタログじゃない。カタログって多分目録っていう意味が大きいと思うんですけど、目録じゃなくてアーカイブとしてどうやって残そうかというところがしっかり見えているというか、どういう方向で残そうかというのを手探りしながらまとまっているっていう感じが見てとれるので、非常におもしろいなと思いました。だからこそ、凡例や、カバーのところに入っているメタディスクリプション(「展示、成立過程を振り返る往復書簡、作品の分析調査、記録映像などをWEBサイトに公開しています」)などから、1つの媒体としてどういうふうに編集していこうかっていうメタ記述が、ところどころにあっておもしろいなと思いました。 |
田口 | 伝わってすごくうれしいです。展覧会カタログっていう範疇におさまらないような物事をおさめるには、どういう形がいいのかなっていうのを手探りしてつくっていってこの形になったっていうのもありました。カバーの見返しの部分とかに入れたらどうだろうかとか、この位置や方法とかも結構話し合いで時間をかけたところだったので、そこに特徴を見出していただけるのはすごくうれしいことです。ありがとうございます。みなさんからも印象に残ったところとか気になったところとか、ここがこうだったらよかったのにとか、どういうことでも聞かせてもらえたら。 |
宮崎 | あれですよね、ちょっと恥ずかしいっていうのがやっぱりちょっとあるかなっていう。「え? こんなところまで?」っていうのが結構、タイムライン(搬入出の人の動きを可視化したダイアグラム。記録集pp. 38–43、pp. 58–59)とか。 |
田口 | ああ、このタイムライン。確かにちょっと恥ずかしさがありますね。 |
宮崎 | あとやっぱり制作風景のサンポールの容器が散乱している写真とか。あと、ブレスト(ブレインストーミング)のメモみたいなものとか。普通だったら見せない部分というのが、こういう形で書籍になると本人としてはちょっと恥ずかしさもありつつ、こんなことやっていたんだなみたいな。忘れているというところもあって。特にメモとかは結構、もう1回見直したりしちゃっていますね、今。 |
田口 | いままでのブレストでつくられたメモとかって、基本的にとっておいていらっしゃるんですか。 |
宮崎 | ブレストって必ず全員いるわけじゃないので、シェアするために写真を撮っておいたりとかして、という形では多分どこかに残っているっていう感じはあるんですけど、整理とかは全然していないですね。 |
田口 | こういう形で残るっていうのは、なかなかないっていうことですよね。 |
宮崎 | そうですね。だから加藤さんとか𡈽方さんとかのページ、めっちゃちゃんとしているなと思って。 |
田口・加藤・𡈽方 | (笑)。 |
宮崎 | なんというか。記録の、記録していくっていう感じが、残していくっていうのがすごい表れているのに対して、なんかこう。われわれのところがなんかね。 |
松本 | 基本的に記録することを前提につくっていないので、どの部分を取り出すかっていうのと、ミルココ(ミルク倉庫+ココナッツ)の場合は、展覧会ごとのコンセプトを汲んで、その場その場で成立させようとしているのが大きいということもあるから、その性格が顕著に記録というところにも出ちゃったっていう感じなのかなっていう。作品制作と、それと対になるライフイベントじゃないけど、私生活的部分って、制作している本人たちとしては切り離しているところはあるんだけど、こうしてみると意外に生っぽく見えてきちゃうみたいな、ってところがある。どうなんだろうね。 |
田口 | 切り離している感じなのにわりとそこが接続しているような見え方になるっていうことですかね、あらためて記録をこういう形で書き起こしていくと、田中丸さんはいかがですか? |
田中丸 | 僕はこのときは参加していなかったので、そうですね、その連続した流れが読めるっていうのは、そういう本ではなかなかないものだなっていう印象はやっぱり受けましたね。大野さんの作品の普通の通常の吊る位置(記録集pp. 18–19)とタイムライン、結構楽しく、こういう感じでやっているんだなと見させていただいております。 |
田口 | 結構「この作品どうやって吊るんですか」っていろんな人に聞かれるんだけど、そういうときに見せるものができたっていう。なかなか大きな作品を吊れる人とか技術自体も育てるのが難しくなってくるっていう、そういう中で意外と指示書的なものが展示の場で役に立つこともあるのかな、と。梶原さんはいかがですか。 |
梶原 | タイムラインは、昨日のトーク(2021年2月6日「綴じて、開く。記録集のためのいくつかの方法」)でもおっしゃられていたように、「怖いようにも見えるよね」って。本当に怖いなと(笑)。「あのカメラたち、ここか」みたいな。それがおもしろいんですけど、制作のときって自分の解像度落としている行為がかなりあるじゃないですか。ラジオ体操したんだっけとか。私、ハエの最初のメンテナンスしたんだっけとか、結構忘れていたことが多くて、おもしろいです。結構うれしいですね。怖いけれども、残してもらえるっていうのは。自分たちでメモとってもiPhoneの中で絶対に埋もれていくんですよね。そういうのをわざわざ載せてもらえるっていうのは一回自分のことじゃないような感じになるから、それがおもしろいなって思いましたね。自分からはがれていく感じがいいですよね。 |
加藤 | 記録って怖いんだなっていうのは、編集しているときにも思ったことでした。自分自身もつくり方が、ミルココさんとも、ほかの作家さんとも違うし。絵の具をつくるとかっていうのはレシピ化しやすいんだけど、絵描きもあまりそういうことを人に見せなかったり、よしとしないケースも多いから、結構恥ずかしいというか怖いというか。 |
梶原 | みなさんの開示っぷりもすごい徹底していて笑っちゃうんですけど、𡈽方さんの道具リストとか、このメーカーのこれかみたいなのがすごい純粋に楽しいですね。 |
宮崎 | これ、参考になるよね。 |
梶原 | そうそう、勉強になる。 |
松本 | 勉強になる。 |
宮崎 | 使える。 |
梶原 | うん、楽しい。 |
「使える記録」と記録されてしまうもの
松本 | 編集されている人たちにちょっと聞きたいところとすれば、例えば今のお話だと記録って多分2つ出てくると思うんですよね。1つは使える記録、再演可能性を担保するものとしての記録と、あとはライフログじゃないけどわからないけど、とりあえずとってあるみたいな。多分今回は、峻別しないで載せているっていうところがおもしろいんだけれども、その辺りの編集方針とか、どういうふうにお考えになったのかっていうのは逆に聞きたいなとは思うんですが。 |
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梶原 | それは私も聞いてみたいです。 |
加藤 | 1つは使えるかどうか、もしくは検討できるか。もっといい方法があるよねとか、なるほどこういうものでやったんだなとか、ほかの人が具体的に行為できるかもしれないっていうところまでもっていきたいなっていうのはありました。考え方も、レシピも、展示作業の前に安全面で、ラジオ体操して体動かしておくというようなことも、意外と記録されないので。そういうところも含めて記録するのは意義があるよねって。ただ、「記録されてしまうもの」については、なかなか難しいですよね。記述と記述の間のようなところは難しく感じているし、それらも全部記述したらそれはいいのかとは思わないので、どう選べばいいかというところが、まさに議論でした。どちらかといえば、「使えるのか」っていうことは基準として念頭にありましたね。田口さんいかがですか? |
田口 | そうですね、私は基本的にはやっぱり現代美術の保存修復の現場にいて、こういうところが難しいとか、こういうふうにやったらいいのにとか、そういう課題を抱えた状態でプロジェクトをはしらせてっていう、最初のきっかけはそれだったので、どうしても自分としてはこういう情報は載せたいなっていうのは前提としていくつかあったんですね。それが例えば大野さんのハンドリングマニュアルだったりとか、あとは𡈽方さんがまとめてくださったこの一覧だったりとか。それにくわえて個々の作家について、いったいなにを紙媒体で掲載する形で記録していくのかっていうのは、それはわりと話し合いの中で決まっていったっていう感じですね。最初から基準みたいなものがあるわけじゃなくて、1人ひとりの作家について記録するべきもの、記録してあったら10年後20年後100年後に作品をもう1回、いろいろな中でたちあがらせたり、大事なことがなんだったのかっていう、核が見えてくるような記録すべきものはここにおいてはいったいなんなんだろうということを考えていって、作家ごとに話し合って、決めていったっていう感じですかね。だから、わりといろんな軸があって、それが混交しているような感じですかね。 |
松本 | 今のお話を聞いて、ちょっと思ったのが、ミルココ(ミルク倉庫+ココナッツ)の記録はハエの生態記録と同じレベルなのかなっていうところが笑える。作品レベルにおちたなみたいな。それは、うれしいですよね。 |
田口 | 展示期間中の保守保全のページに図面化していただいた部分っていうのも、ショウジョウバエを展示の中で素材として見たいというふうにみなさんがおっしゃったときから、これは絶対に載せたいなと思って。やっぱり、先日のイベント(2021年2月6日「綴じて、開く。記録集のためのいくつかの方法」)でも言ったんですけど、生態展示ってとても難しくていろいろな制約があるので、最初からはじかれてしまうことも多くて、でもそういうことが海外のコンサバターからもあって。生き物のケースみたいなものを美術館という1つの箱の中で、コントロールできるかっていったらやっぱりコントロールできないことが多すぎるので、じゃあそこでどういう工夫を施したかというのもある程度すり合わせというか、美術館もここでちょっと妥協して、見る側もちょっとそこで歩み寄ってっていう、そこで決まっていくので。両者がものすごくやりたいことは全部できました、不満は1つもありませんっていう状況でできる生態展示ってほとんど聞かないんですよ。なにかしら制約が出てきて、その辺が情報を公開するときにわだかまりになって、図面が公開できなかったり詳細が外に見えなかったりっていうことに結びついているような気がするんですけど、でもコンサベーションとかに携わる立場としては、どういうことが実際に行われていたのかなっていうのは情報としてあれば本当にそれはありがたいことで、図面っていう形で参照できるのはかなり今後の修復界にとっては得難いというか貴重な資料になったっていう実感はめちゃくちゃありますね。 |
宮崎 | ちょっと話が変わるんですけど、搬入搬出設営記録でスタッフの名前が全部載っているじゃないですか。これ、なかなかすごいですよね。 |
𡈽方 | 関わった人、全部ちゃんと明記したかったんですよね。いろんな人がいろんな関わり方で展覧会ができているっていうようなこととかをきちんと。いつもスペシャルサンクスで並んでいても、結局そこだけじゃわからないことを記入することによって、誰がなにをやってくれたのかがわかるっていうのがいいなと思って。 |
加藤 | 展覧会1つつくるのにどのくらいの人足が必要かとか、可視化されていないと、シャドウワークが軽んじられたりとか、お手伝い、ボランティアっていうことで済まされたりとかも出てきますからね。これだけのマンパワーが必要、ということが明記されているといいのになっていうところもありましたよね。 |
梶原 | 手伝った本人も、自分がなにやっていたかよくわからない人もいるんじゃないかと思うんですけど、こうやって可視化されると「ああそうだったのか!」っていう感じで、うれしいんじゃないですかね。 |
加藤 | 展覧会全体に自分のはたらきがどう作用していたかがわかるっていう。 |
展覧会をケアする者・モノ
松本 | 昨日の話(「綴じて、開く。記録集のためのいくつかの方法」)で、キュレーターいるかいないか問題(前述のトークにおいて『タイムライン』展と『STAYTUNE/D』展におけるキューレーターの有無や、展示におけるキュレーションのあり方などがトピックとして挙がった)ってあったじゃないですか。中村史子さんの論考(記録集pp. 62-64)にしてもそうですけども、僕は今回に関しては、井田照一さんの作品がキュレーター? キュレーション? してたのかなという気がしていて。今回の《Tantra》にしても支持体がすごく希薄じゃないですか。支持体が希薄ということは、多分、逆説的に支持体自体も物質性みたいなものを非常に帯びちゃっているっていうことだと思うんですが、展覧会の構図も含めて全部露呈させちゃうっていうような……。今回の記録にしても、そもそも展覧会自体が搬入しているところも映像で展示導入として見せちゃったりっていうところも含めて、井田作品に引っ張られてっていうか、そんな感じでキュレーションできているんじゃないかなっていうふうに思えていて。 例えばわれわれはモノ、例えば井田さんがやっている作品のそれぞれのパーツ、さまざまな時間軸が1つの画面におさめられているものっていうものを、分解するような形で併置したっていうことをやっていましたけれども。ほかの人も、(本展において)結構、異質だっていう話が出たりした大野さんの作品におけるナラティヴ性にしても、石っていう寡黙なもの、時間軸のない物質そのまま出しちゃうみたいな、表現的な部分とかも。あと、思い返せば作家の選択にしてもそうだったのかも、とすらと思えちゃうんですけど、結構井田さんの作品がやっぱり中心にあった展覧会だったなっていう気はしていますね。 |
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田口 | おもしろいですね、それは。初めていただいたご意見ですね。 |
加藤 | 確かに企画の話を進めていく中で、井田照一の「Surface is the Between」や裏表がある絵っていう言葉とか、作品の表面、通常見えているところとそうでない部分というものを展覧会の構造としても採用しようという意図が結構明確にあったし、展覧会が、準備から始まって展示があって、いまこうして展覧会後の話をしているのも蝶番みたいになっていてっていうイメージもあったので、一番全体に乱反射しているのは井田照一の存在かもしれないですよね。 |
田口 | そうですね。最初にこういうプロジェクトができたらいいなって思うようになったのも、そういうきっかけをくれたのも井田作品だっていうのは確かにその通りで、京都で展覧会を開催している2019年時点でも、日々の生活の中で、井田さんの作品って京都のあちこちにあるので、あらためて場所の力もすごく強く働いて、井田さんの色が当初思っていたよりも強く出たかなっていうこともあるかもしれないですね。心持ちとしてはそれぞれの作家グループを等価に扱いたいっていうのは最初からきちんと加藤さんと話し合っていて、どうしたら井田さんの色があまり出過ぎないように(できるかと)。でも、それぞれの時間っていうものを出したいっていうのがあったので、井田さんの時間の捉え方に引っ張られすぎないっていうような構成にしたいよねっていうのを話していたんですけど。 |
加藤 | そうですね。 |
坂川 | なんか書籍の本として綴じていくデザインのほうもかなりコンセプチュアルですよね、これは。ジャケットをはがすと搬出の(記録集の表紙カバー裏)。茶チリがはがれている絵ですよね、これは。壁紙をまさにはがす搬出の画像とか、裏表ってそれは井田作品にも通ずるところがあって本人も完結されているようなところが見受けられるので、より松本君がいったキュレーションが井田作品にあったのではないかというのはなんとなくカタログを見ても伺えるかなと。 |
ライフログをとるということ
坂川 | あとはコロナ禍になって、一般的に行動変容みたいなログをとらなきゃいけないみたいな、そういう時代になってきたっていうのと、奇しくもこれがタイミングが同じというか、そういうところの時代、時間のおもしろさもあって、ちょっと考えさせられましたね。プライバシーを記録していくっていうのがすごい一般的になってしまった。 |
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宮崎 | 記録とるのがだいぶ楽になったっていうのはあるんだろうね。 |
坂川 | そうだね。そういうのも含めてなんですけれど、なんかちょっと、結構タイミング的に、考えられるかなと。ちょっとドキッとしたような感覚でしたけど。経路とかね。 |
松本 | 多分カタログと記録集の違いなんだと思うんですけど、今、坂川君がいってくれたみたいなメタデータをどれだけ入れ込めるかっていうところで、違いが出てくると思うんですよね。ライフログみたいな、どこを移動したか、何時に移動したかっていうのって基本的には、普通カタログには入らない記録の部分、記録集でこそまとめられるところだと思うので、そこが明確に入っているっていうのはおもしろいと思いますよね。 |
宮崎 | まあでも、松本君がいったけど、(ライフログをとるということは)俺たちがハエにしていたことだからな(笑)。 |
松本 | そうだね。 |
加藤 | そうか、なんか入れ子構造になっているとも考えられるんでしょうかね。 |
松本 | 僕としてはうれしいですけどね、ハエと一緒になれたんじゃん。 |
宮崎 | なんていうのかな、要はハエ、ハエと一緒になれたっていうかさ、ハエを使っていたと思っていたらハエと同じレベルだったっていう、そういうことね、よかったっていうのは。 |
松本 | そうそう。 |
宮崎 | ハエに対してのメタじゃないよっていう。 |
松本 | そう。やっぱりハエを搾取しちゃう立場だとあまりにもハエに悪いので。そういった意味じゃ同じレベルに落ちれてよかったなと。 |
加藤 | 等価にモノが移動するっていう。 |
松本 | 田口さんが最初に書かれていた(記録集pp. 6–8)ものとしての、「モノ」としての作家っていうよりも、作家の「モノ」としてみたいな、よくわからないんですけど。そういったレベルに落ちれたのはよかったなと思います。 |
𡈽方 | みなさん実は散歩されていたりとか、会場の外で打ち合わせされていたりとか、カメラが回っていないところに行かれるとわからなくなっていて、それをあまり記録できていないんですよ。 |
松本 | ああ、そうですね。Tweet見るとわかる。 |
𡈽方 | そうなんですけど、Tweet見て、判断したんですけど、これ時間外でも関わっちゃってどうしようみたいな。 |
梶原 | 時間外(笑)。時間外労働が。 |
松本 | だって、タイトル結構考えていたもんね。 |
宮崎 | 最初にみなさんも考えていたからね。 |
松本 | 梶原さんとシーノ(篠崎さん)が結構あれ粘っていたもんね。 |
宮崎 | だってその、𡈽方さんとかから見たら、ミルココ全体がいなくなっているんだけど、タイトル考えるとき、シーノ(篠崎さん)だけいなくなるんだよね、また。1人部屋に閉じこもるの。それでヒュって10分くらいしたら出てきて、「こういうの考えたんだけど」みたいな感じで。そういう感じだったね、タイトルは。1人じゃないと考えられない。 |
𡈽方 | みなさん結構個別にいろんな動き方をするからミルク倉庫+ココナッツのタイムラインはどう表記しようってなりながら、こんな感じで落ち着いたっていう感じですね。 |
タイムラインにあらわれないもの
松本 | 搬入のタイムラインには入っていないんですけど、マルちゃん(田中丸さん。2019年の展覧会時点ではまだミルク倉庫+ココナッツに加入していない。「時間の中抜き」をモデル化した鍾乳洞作品の制作に協力。)もこのときから一緒にやっているので、鍾乳洞。 |
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田中丸 | そうですね、なので僕はあまり全体像がつかめないままやっていたっていう感じがあったので、っていう感じですね。 |
松本 | あれ? でもコンセプトとかは共有していたでしょ? |
田中丸 | はい。それで多分、鍾乳洞に関してはつくるのに結構時間がかかって、実験もいるだろうしみたいなところがあって。 |
宮崎 | 鍾乳洞時間かかったよね。時間かかったっていうか、かけないとあれだからねっていうのも。 |
田中丸 | けど溶けるとか細かいディティールっていうのがはっきり読めないっていうのが強かったので。まあ炭カル(炭酸カルシウム)とかいろいろ使ってどれくらい溶けるのかなっていう実験を結構やっていた、僕と宮崎さんでっていう感じですね、あれをつくるのに際しては。 |
宮崎 | やりすぎてね、崩壊しちゃったのもあるからね。 |
田中丸 | そうですね。記録集に残っている大量のサンポールの画像がちょっと。 |
加藤 | あれ、すごく端的だなと思って、これだけの試行回数があるのが可視化されている気がして、あの画像を選んだんですけど。 |
田中丸 | 結構試行回数重ねるごとに、このエフェクトを出せばいいんじゃないのかなっていうのも見えてくるので、そういう意味では制作が必要だなっていうパートですね、あそこに関しては。 |
加藤 | 「エフェクト」と思うんですね。 |
松本 | マルちゃん楽しそうにしていたもんね、あれね。 |
田中丸 | まあ、もともと地形の生成とか興味あったところがあって、いいなと思いながらやっていたっていうのはありますね。 |
宮崎 | あとブレストが楽しかったよね。決まらないと制作に移れなかったからね。 |
松本 | そう、ブレストしないと結局いけなかったから。 |
梶原 | 篠崎君、ブレストで大活躍していた気がします。なんかしゃべってよ。 |
篠崎 | あんま覚えていないですね。 |
宮崎 | お前も調べてきたじゃん、1人部屋にこもったあとに。 |
篠崎 | 喫煙所か。 |
松本 | そう、喫煙所、タイトルはね。 |
宮崎 | 宿の喫煙所。 |
松本 | 宿のロビーで、みんなで話していて。 |
篠崎 | 思い出した。宿の喫煙所、すごいいい喫煙所だったんですよね。 |
松本 | ソファーでね。 |
梶原 | あ、覚えている、すごい覚えている。暗くてムーディーでした。 |
篠崎 | 結構気に入って。 |
梶原 | アジトっぽくて素敵な場所だった。 |
宮崎 | あそこで考えてた、それ喫煙所だったんだ。 |
篠崎 | あそこはずっと部屋とかみんな戻ったあとも結構ずっとあそこにいたりして。 |
梶原 | 落ち着く場所でしたよね。 |
篠崎 | それを思い出しましたっていうだけ。で、この画像(作品タイトルの参考にした画像[ダベンポート兄弟によるロンドン公演「不思議キャビネット」ポスター(1805年)])を見つけたんでしょ、これ。 |
松本 | そうですよね、画像を見つけてそこから。 |
篠崎 | 両方考えて、それを検索したか、ちょっとあまり覚えていないんだよな。キーワードが多分あったんだと思うんだけど。それはみんなが(キーワードを)出しているときに出てたのかな。 |
松本 | うん、出ていたやつね。 |
田口 | それはたまたま見つけたんですか、パラパラっとご覧になっていて、いろいろ調べている中で。 |
篠崎 | 画像検索ですね。キーワードでいろんな派生したので、英語とかで調べるとだいたい出てくるかなと。 |
田口 | それがきっかけだったんですね、ファイルになっていると、いろいろ思い出されてくるっていう感じですね。 |
加藤 | そうですよね、すごく流動的に話し合われていますからね。 |
篠崎 | あと結構長かったですからね、京都に。 |
宮崎 | 搬入がね。 |
篠崎 | 時間が。結構いろいろやっていたし。夜も出かけたりして。 |
松本 | 一応、LINEには全部残っているから、振り返れば。 |
田口 | 当時の記録が。そうですね。 |
作品を再演するための「スコア」について
田口 | 作品の再演可能性とか再現性っていうところにもつながってくるかなと思うんですけれども、みなさんは作品のスコアというものについて、どうつけます? もしその過程として作品を収蔵する側からスコアも一緒にくださいといわれたら、それこそブレストなさると思うんですけど、どういうふうに考えていかれますかね。 |
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宮崎 | 難しいな。スコアか。 |
田口 | スコアっていう言い方がいいのかどうかもわからないんですが。 |
坂川 | タイムライン展に出展したものに限ってはダイアグラムじゃないのかな。なんていうの、展示される図面とかは関係ないじゃないですか、そもそも。ただその関係を示すっていうものが再演できるっていう意味ではあのダイアグラムで完結しているような気はしますけどね。 |
松本 | 思考が再演される、経験が再演されるっていう。 |
坂川 | そう、思考が、考えがとか、そういう。 |
松本 | 続いたんですよ、2019年は。「scratch tonguetable」の方もレシピで、東京計画(「東京計画2019」gallery αMで開催された展覧会。藪前知子氏キュレーション。https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2019/)だから。2019年はスコアの年だなっていう気はしますけど。 |
西浜 | あと歌も歌ったんですよね。(2019年7月6日にblanClassで行われた展示+トーク・パフォーマンス|ミルク倉庫+ココナッツ[それらはしっかりと結ばれていて、さらに離れたキャビネットに閉じ込められていますーそれでも、物は動かされ、音楽は演奏されます。]) |
宮崎 | だから、これのスコアって、やっぱりメタスコアじゃないですか、そういうものといわゆる作品のスコアっていうのが、やっぱり違うレベルにあるから。だから、「αM」もそうだし、タイムライン展もそうだけど、作品のスコアっていうレベルじゃ確かに、あのダイアグラムとかレシピっていうのがスコアっちゃスコアなんだけど、でも「αM」って別にレシピが作品でもないじゃないですか。 |
坂川 | 「αM」はね。 |
宮崎 | でもタイムライン展もやっぱし、博物館でやるとかっていうのが組み込んでいて、ああいう形式になっていたりするっていうことを考えると、また違うスコアの存在みたいなものがあるのかもしれないなとは思う。 |
松本 | 必要になるんでしょうね。 |
宮崎 | そこはまた考えるっていうか。 |
松本 | ただ、それは多分、そのスコアで、なにが起こるかというと、基本的に物神性は高まるかもしれないけど、経験が再演されないと意味ないでしょっていうことを坂川君はいっているんだと思うので、そこのズレっていうのはやっぱり出てくるもんだろうなって。 |
田口 | 原点が再現されたら、作品も当然変わっていきますよね。 |
松本・坂川 | そうですね。 |
田口 | 再演ではあるけど再現と思うんですね。 |
宮崎 | 作品というのは常に不完全というか、不完全なところが絶対にあるなっていう感じはあるから、やっぱり別のブラッシュアップなりバージョンアップなり、なんかこう変えるっていう操作がどうしても入ってくるよね、多分、もう1回やるとかになったら。だから美術館におさめるっていったときに、っていうのと、どこか別で展示をするっていうのって意味合いがまた全然違ってくると思うんですよ。やっぱりこう、ある種、無時間的な収蔵庫に入るみたいな、美術館だと。それとやっぱり、もう1回展示するっていうのは、またちょっと違ってくるかなっていう気はしますね。 |
田口 | 確かに。美術館っていう場所に収蔵されたら、それを違う形で再演するっていうのは、ある意味難しくなるかもしれないですよね。美術館としては、これくらいのものの位置は何センチ離れていて、こういう条件で、ライティングはこうでっていうことの記録はとるかもしれないけど、じゃあどういう人物がどういうあり方で、どうそれを再演するかっていうことについてまで目配りをできるかっていったら、結構しばりが出てくるかもしれないですね。 |
宮崎 | だから、もしかしたらスコア、解釈の余地を残すスコアみたいなものが必要っていうのはあるかもしれないですよね。 |
田口 | そうですよね。スコアっていう言葉でおさまっているものがものすごくあるなと思っていて、例えばこういう形でこういうふうに書いてくれればそれでいいよっていう、ゆるい指示書みたいなのを残すアーティストもいれば、かなり厳密に、何人で、こういうふうにやって、必ずこういう色を使って、壁面はこういう大きさでみたいなことをいう人もいるし。作品が作品として成立する必要最小限というか、それってどこにあるのかなっていうのを考えることが多いんですよね。 |
西浜 | そこはやっぱり再現可能性を担保するものでは必ずしもないですからね。例えば、バロックの演奏法っていうのは即興性の部分っていうのがあらかじめあるので、バッハがどういうふうに弾いていたかっていうのは、もはやわかりようがないですね、っていうようなものはあるので、それがどのようなスコアにもあるというようなことで。わかりやすくクラシックの演奏だと演奏家の作品になるわけですよね、古い作品だと。だから、なんでしょうね、同じですけど再現、必ずしも再現するためのものではないという。 |
坂川 | でも、ある意味その鑑賞者だったり、アップグレードされた演奏というか、そういうのも含めて聞いている。 |
西浜 | だから僕も最初に坂川君が言ったようにある種の核となるような部分を残して、それであとはどうしても解釈の部分が入るからっていうふうな形でしかできないかなっていうふうに思いますかね。 |
松本 | メール(インタビューに先立って送信された質問項目)のほうで書いていただいた「Strange Green Powder」(ダンサー・振付師の神村恵さんとの作品。2019年開催のフェスティバル/トーキョー19で発表。)、あのときは神村さんが指揮者で、こちらは素材、つまり、スタッフ(staff/stuff)だったんですけど、神村さんの様子を見ていると、神村さんはスコアつくらないんですね。 |
宮崎 | いや大変だったんだよ、あれ。 |
松本 | そう、ポイントだけつくっておいて。なんでポイントだけにするかっていうと、演者のほうの感動も熟れてきちゃうから、っていう話。常に、ノイズも含めて、新しい出会いを、観客にどうやって伝えるかっていうところ、それが織り込まれていたっていうことだから。今の西浜さんと坂川君の話に通じるところなのかなと。それと、西浜さんが言っていたバロックの問題で、もしかしたら加藤さんの今回の作品とも近いかもしれないけど、ある種、抽象性を帯びて、演奏というものを操作できるようになったっていうのがスコアの発明だと思うんですよね。記録する、記録を通して俯瞰的に操作できるようになった。多分、加藤さんとか、今回の光学の分析を使いながらも、それも含めて作品化するっていうこととか。あと、もしかしたら𡈽方さんもそうかもしれないですが。スコアによって行為の抽象性を一回高めて、その行為を断片化することで抽象的な操作を加えることができるのかなとは思ったんですが。あと、こう考えると、もしかすると最初の話に戻るかもしれないけど、どこまでスコア化された行為をロールバックするのかっていう視点を担保する仕組み付けって、やっぱりなかなか難しいなって……。 |
加藤 | でもその辺りがアーティストユニットであるミルク倉庫+ココナッツのみなさんと一緒に考えたかった部分でもあったと思うし、ブレインストーミングとか、とりとめのない会話からも生まれうる、もしくはその出どころが一概にここからとはいえない、とか、構造はこれだよっていうことも言えないとか、っていうような複雑さについてを考えるチャンスにもなったと思うので。 |
松本 | あと思ったのが、僕、東京に行けていないので、1年(松本直樹さんは長野県在住のため、コロナ禍において東京のミルク倉庫に移動する機会が限られた。)。だから時間の進み方が結構全然止まっちゃっていて、インタビュー受けるっていうので前の資料とか見返したりとか、思い出したりとかしていたりとかすると、そうするとそこからまた2019年からはじまっている感じがしていて。特に2020年がなかったから。 |
宮崎 | なんにもなかったからね。 |
松本 | なかったし、オンラインでしか会えないので、ほかのメンバーと。思考がそこで止まっている感じがあったっていうか、そのあとちょっと「scratch tonguetable」とかあったけど、あとはいまも何個かプロジェクトあったりもするんですが、それでもその辺りで止まっている感がすごいあって、タイムラインの資料とか見はじめると2019年の4月とか5月くらいに、また違った複線化されたような時間が進みだしている感じがするのかな。並行的にしているのもなんかちょっと変だなと思いながら。 |
西浜 | スコアのおもしろいところっていうのがあって、僕は音楽畑だから音楽の話をしちゃうんですけど、オーケストラの演奏を作曲家が自宅で試してみると基本的にできないんですよね。今はコンピューターがあるんだけど、スコアを書いて、それがもとになって、演奏家が、オーケストラが一発演奏するっていうふうな順番になっているんだけど、レシピもそうだし、今回の𡈽方さんとかが特にそうかな、やっぱりオリジナルがあって、それの再現方法としての記録があるっていうふうな形じゃないですか、基本的な構造としてね。だからもし僕が、ほかのメンバーはどう思うかわからないんだけど、例えばこれを美術館なりどこかにおさめるとなると今回の作品の再現方法っていうんじゃなくて、また新たにそこからなにかが生成できるような、つまりスコアが起点となって作品が生成されるような形の仕組みを入れたくなるような気はするかなっていう感じがしましたね。再現じゃなくてこういうことを書きくわえておいたらなんかおもしろいことが起こるんじゃないのみたいなところを入れたくなるような気はする。 |
松本 | スコア出せって言われたらね。 |
西浜 | そうそう。出せって言われたら、そこに遊びを入れたくなるような気がする。 |
松本 | スコアがなんで成立するかっていうことを入れたくなっちゃうからね。 |
西浜 | そうそう。 |
加藤 | そうか。スコアで残すことで遊ぶというか、ほかの人が遊ぶかもしれない、みたいなことができるところなんですね。 |
西浜 | そういうことを考える傾向がわれわれ強いような気はちょっとしています。 |
田口 | こうあるべきっていうスコアの形がないわけだから、結構それは遊びがあるんですよね。それっておもしろいですね。時限爆弾みたいな感じで。100年後に向けたスコアと200年後に向けたスコアはまったく別のもので用意しておくとかもできるわけですよね。 |
西浜 | 井田さんの作品の裏に素材が書いてあるじゃないですか。俺はあれが嘘だったらおもしろいなって思っちゃったんです。 |
松本 | 嘘というのも、多分もしかしたら仕込んでいる可能性はあるし、あとは書くものと書かないものはあるんですよね、嘘じゃなくても。そこではもう編集しているよね。つまりスコアとして残すっていう以上の試みはそこでされてしまっているはずだから。結局、それこそこの(タイムライン展の)記録集もそうかもしれないですけど、なにを残してなにが消滅するかみたいな、それが消滅させることによってなにかしら起こるっていうことは常にある話だと思うので。 |
宮崎 | あと、ちょっとそういう話と近いのかとかはわからないけど、これはさっきマルちゃんと話していたんだけど、タイムライン展でつくった作品に関して、あれが最初の展示で初めてつくったわけだけど、最初につくった作品がオリジナルっていうわけでもないかなっていう気はしているんですよ。それを指し示しているなにがしらのコンセプトみたいなほうが重要だから。だから普通、作品ってどんどんつくっていくと思うんだけど、さっきもいったけど毎回不完全というか。西浜とか松本君が言ったなにか入れ込む不確定な要素というか、欠如を仕込んでおくみたいなものっていうのは、そういうオリジナルっていうものがどこにあるかっていったときの話と似ているかなって思いながらいま聞いていたんだけどね。 |
松本 | 基本的にオリジナルっていうのは、なんでオリジナルになるかというと、オリジナルに従属するものが出てくるからオリジナルになると思って、二次創作じゃないけど。その後の展開を考えられるようにつくられている。逆説的に言えば、なにか次につくられる余地を残しているからこそオリジナルっていう言い方もできると思うので。あとはスコアっていうのも1つメタレベルに立とうとするのであれば、それが作品に従属する形であってはいけない話だと思うので、うまく言えているかどうかわからないですけども、その位相の違いっていうのをどの辺りに仕込むかっていう話になってくるのかなっていう気はしましたね。本来だったらスコアは先に書かれて、それで再演されるんだけど、例えば作品のスコアをあとから、事後的に出してくださいっていわれた場合は、その作品のオリジナルとして、ある種、捏造しないといけない話になる。かつ、そのスコアからその作品ができたっていうようなところであれば、作品の不完全さも含めて記述しないといけないっていう話だと思うので。ちょっとねじれていておもしろいなと、今の話。 |
宮崎 | 実現されているものっていうのは、常に特殊っていうかさ、特殊で個別的なものだから、それは絶対になにか欠けているものをはらんでいてみたいなね。それをもう1回スコア、それを生むためのスコアみたいなものを考え直すみたいなことは考えるかもしれない。 |
松本 | ただ、あまり考えすぎるとひび割れたデュシャンの「大ガラス」みたいになっちゃって嫌だなとも思ったりして。 |
宮崎 | そうだね。 |
田口 | 今度、国立国際美術館で久保田成子さんの展覧会があるんですけど、ハイレッドセンターとかと一緒に仕事したり、ナム・ジュン・パイクからカメラもらってビデオ彫刻やっていた、久保田成子さんの場合も、彼女は映像の彫刻をつくる人ですけど、本当に普通に見たらオリジナルって呼ばれるようなものがあって、そこからいくつか派生したバージョンがあってっていうふうに外からは見えるんですけど、決してオリジナルと呼ばないでくれ、オリジナルっていうものは特に存在しないのでっていうことを、財団ですかね、作品管理している人たちが久保田さんの意図をくんで、そういうふうにおっしゃっているんです。それで、国立国際のキュレーターの人たちも、じゃあどうやって呼ぼう、これを、みたいな。オリジナルっていういい方をしないで、最初のバージョンをどういうふうに呼んだらいいのかなみたいなことを今一生懸命考えているらしいんですけど。 オリジナルっていう言葉自体があまりにも使われ、慣れすぎてっていうか、最初のものっていう感じで私たちはオリジナルっていう言葉をよく使うけれども、それがないっていうところから話をはじめていかないと、作品が理解できないようなアーティストっていうのも確かにいるんだよねっていう話をしたんですよ、この間。今それを思い出しました。自分の作品の中でオリジナルかそうじゃないかっていう区分をされることを明確に拒んでおくっていう選択肢もあるんだなっていうふうに。残されていくっていう未来の中で、そういう意図を残しておくっていうことも1つ、あるんだなっていうことを久保田さんの例で思ったんですよね。。 |
展覧会以後の「時間」についての捉え方の変化、もしくはコロナ禍における時間の感じ方の変化について
田口 | さっき松本さんが2020年がなかったっていうふうにおっしゃっていましたけど、ある意味、本当に私にとってもあったのかなかったのかっていう、あまり1年を生きたっていう実感がない1年だったので、不思議な記憶の残り方をしているんですけど、みなさんは2020年、どうしていらしたのか、手触りっていうか生きごたえを伺ってみたいなというのと、タイムライン展はそれこそ本当に時間というものを取り扱う展覧会だったわけですけど、それから2020年の時期をこえて、いま2021年になって、その間でみなさんがタイムライン展にご一緒していたときに考えていた時間というものの捉え方といまとで、なにかしら変化というものがあったかどうか。あったとしたらそれがどんなものなのか、あるいは、これはやっぱり全然変わらなかったねっていうものがあれば、それがどんな要素なのか、などなど、教えていただけたらうれしいんですが。 |
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梶原 | 去年から、自宅の中に空きスペースができたので、そこでちょっと人が集まれる場所[名称「手当(てあて)」、2021年内にはオープン予定]を開こうとしているんですけど、コロナのおかげで予定も入れられないし、これは時間あるなと思って、ゆっくりその準備をしています。だからなんていうんだろう、急に締め切りがガーッて伸ばされたっていうか。まーったりやっているっていう感じで。その改装や片付けをちょびちょびやっています。去年予定していたこと、同じことはできなくなっちゃったので、もう1回仕切り直しです。 |
松本 | 延ばされたって感じ? 時間が延ばされちゃった感じ、ギューッと。 |
梶原 | なんか金太郎飴がグイーッていう感じ。飴細工みたいな時間っていう感じです。でも、そうですね、ミルココも改装していると思うんですけど、改装って本当にきりがないじゃないですか。なので、ちょっと悩ましくはあるんですけど。 |
宮崎 | 凝りはじめると終わんないよ。 |
梶原 | それを切に知っているから、最初は改装なんてするつもりも必要もなかったんですけど、事情があり、全面的に改装することになってしまった。その時間の余裕を与えてもらえたと思えば、わりとありがたい時間でもあるんですけどね。そうですね、だからずっと準備してる。というか、これも活動なのかもっていう。わからなくなってくるんですよね、主従が。そもそもが家の一部をひらくっていう時点で、その辺が曖昧っちゃ曖昧なんですけど。勝手にできちゃうから、自分の自由に。 |
松本 | 時間感じた? |
梶原 | 時間、感じますよね。 |
松本 | どんな時間なのかなと思いながら想像して、どんな時間を歩んでいたのかなと思いながら聞いていた。 |
宮崎 | 時間が消えちゃったんだけど、なんとか感じなきゃなと思って髪の毛伸ばしているんじゃないの? |
梶原 | ああ、そうそう!植物育てるみたいなつもりで楽しいですよ。自分の中の田んぼっていうかさ。眉毛もすごく育ってきて、うれしいんです、人と会わないと。そういう時間は感じます、やっぱり。 |
加藤 | それまでは締め切りとか、なんかの予定が外から設定されていたりすると、ああ、もう何月だからやばいとか、そういうので感じたりとかしますけどね。結構自由だったりとか、制裁がなかったりとかするとそうなるんですかね。 |
梶原 | そうそう。でね、工事はまさか私ひとりの技術ではできないので、手伝ってくれている人がいるんですが、その人自身がめちゃくちゃ無時間的な人で、今日も結局来ないと。内装工事なのに雨だから休みとか、現場に着いたらいきなり仮眠とか、ね。ひとりになったら、そういうハメハメハ大王の歌のようなノリをにがくも許容するしかなくなってきて、やや成長したと(笑)。 |
宮崎 | ちょっと梶原と似ているんですけど、アトリエがいま2つ、2棟借りているじゃないですか。コロナ以前からちょっと縮小というか、しようかなっていう案が出ていたので、出ていたんですけどちょっと様子見ながら、片付けながら、ものの量とかはかりながらっていう感じでのんびりやっていたんですよ、2020年頭くらいからは。ただちょっとコロナで先行きというか、世の中どうなっちゃうかわからないよねっていうのもあって、今、片方だけにまとめようっていう話になったので、そのためにそっちのほうの改装というか整備をしているから、その時間を与えられたかなっていう感じは、っていう意味じゃ梶原とちょっと似ているっちゃ似ているかな。またそうなったらそうなったで、でも改装も締め切りみたいなのがないとちょっとのんびりしちゃうねっていうか。やっぱり間延びした時間みたいな感じになっちゃっているかなみたいなのはよくねえなみたいな感じではありますね。個人的にはというか、ほかのみんなはどう思っているかわからないけど。早く制作したいなっていうのはあるんですけど。 |
加藤 | やっぱり集まりにくいですか。 |
宮崎 | それはそんなに、日曜日はわりと。一時、去年のコロナはあとにして、3月に「引込線」っていう展覧会が2019年からやっていて、それでその企画自体がサテライト方式みたいなので、いろんなところで散発的にやるみたいな形式だったので、それに参加することになっていたんですよ。オープンスタジオ、ここ近辺のほかのスタジオとかと一緒にオープンスタジオっていう形をとって、「scratch tonguetable」のレシピを食べてもらう企画みたいなのを考えていたんですよね。それがやっぱり直前になって中止というか、中止という判断にして、したのが結構大きかったっていうか、ちょっとね。そのあとはしばらくあまり人が集まらないようになっていたかな、個人の判断というか。電車に乗ってこなきゃいけない人もいるだろうし。コロナに関してはいろいろ途中で、実はああだこうだみたいな、知見が、情報がいろいろあれしていたから、そんなに気にしなくてもいいかもねみたいなタイミングもあったし、そんなにそこまで神経質になって会わないようにしているっていう感じではなかったけど。来られる人は毎週日曜になると来て、やっているっていう感じだったかな、1年通して。 |
加藤 | やり取りの方法、それで変わったりとかしました? |
宮崎 | 結局、展示のプランが入っていなかったから、そんなにやり取り自体も少なかったかな、去年は。Zoomでやるときは松本君なんかと2回くらい、2~3回かな。新年会やったりとか。 |
松本 | 美術家の石川さん、石川卓磨さんの「蜘蛛と箒」(芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織[http://kumotohouki.net/])っていうのがあって、そこで出版もしているんですが、「原稿集」っていう。その依頼がきているので、それをいま、今月締め切りなので。それぞれちょぼちょぼやりながら、試作を送りあったりとか、そういう感じです。 |
宮崎 | 西浜が結構活躍してくれる。 |
西浜 | どうだろう。 |
宮崎 | そんな感じだったかな、ミルココとしては、なかなか。 |
松本 | ほかの人のミルココはどうだったんですか。坂川君とか、西浜とか。 |
西浜 | 僕はね、ちょっとさっきもいったけど、blanClassでタイムラインのダイアグラムをもとにした歌を歌ったんですね。僕はバンドとかもやっているので、人に自分の作品を演奏してもらうのはあるんだけど、このメンバーとそういうことするのは初めてで、結構自分的には楽しくて。それで、1つ、場所があることの利点で結構人が集まるから、自分の作品をとってYouTubeにあげたりしたいなと思って、ちょぼちょぼ書いたりしていたんですけど、またコロナの影響っていうのとわりとかぶってしまったのがあって、意外と集まりが悪くなったり、作品の形態としての、全員でガヤガヤしゃべるとかっていうのが難しいとかっていうのもあって、なかなかやれていないんですけど。だから今年はやりたいなと思っているんですけどね、なんとかこの疫病の状況下でもできるような感じにしてやりたいなっていうのがあったのと、あとそこで1年ちょぼちょぼ書いていた作品がわりと次の、今話した石川さんの「蜘蛛と箒」の原稿集っていうのに活かせそうな感じもあるので、うまくいったらいいなというふうには思っていますかね。そうですね、アトリエまわりに関してはそんなつけくわえることは特にないんですけど。 |
坂川 | そうですね、個人ごとなんですけど、結婚して環境も変わって。自分の制作場、個人の制作場みたいなものも1からなんとなくつくる部分とミルココのアトリエもあったりと。そういうので、なんとなく、ちょっと細かいものでもちゃんとしっかり残していくような、制作場みたいなものは必要かななんてちょっと思ったりしていますかね。 |
宮崎 | 坂川君、イラスト、自分の仕事道具のなんかをやるっていってたじゃん? |
坂川 | ああ、1回だけ描いたんだけどね。 |
宮崎 | あれはどうなっているの? |
坂川 | あれは、描きだめているけどね。あれは一応清書しているんですよ。編集がからんでいるんですよね。メモ程度のものはバーっと残っているんだけど、それを第二弾で編集してきれいに描き直すっていう作業はしていないかなっていう感じですね。それも続けられたらいいし、とかですかね。そんなところです。 |
田口 | 篠崎さんはいかがでしたか。 |
篠崎 | 1年間、去年は運動していましたね。1年間みっちりしたので。(基礎体力が)上がりましたね。それに伴って結構頭もスッキリしてきたので、いろいろスッキリしたりしはじめたかな、最近。体力が多分30代前半くらいまで戻っているので。結構でかい。 |
宮崎 | 素晴らしいじゃん。 |
田中丸 | 僕は配送の仕事をしているんですよ。なので、コロナとかあっても普通に街に出ていたりしていて、都心から人が消えるみたいな、結構特殊な状況とかを見たりしていたんですけど、なんか時間の問題っていうことで言えば、なんて言ったらいいのかな、人の密度もそうですけど正月っぽいなとか思いながら。人の密度だったり、現象的に表れるもの、通常表れるだろうなっていう感覚が全然こないので、そういう意味ではすごい距離を測りかねるな、去年はみたいな感じの。表れとして違いすぎて。結構季節ごとの感覚っていうのを反復してなんとなく春が来たな、夏が来たなとか思っているじゃないですか。人の距離とかもそうですし、そういうところがだいぶ変わって不思議な感じだなと思いながら1年過ごしていた感じでしたね。ミルココに関して言えばYouTubeの話が出たけど、「αM」でやった料理のやつは展開したいなとかYouTubeで、思っている感じです。 |
展示作品の現状について
田口 | またタイムライン展の話に戻るようで恐縮なんですけど、終わって2年、今、作品はどこにあり、どんな状態になっているのか。今後、もう一度出展するっていうような、そういうことを考えられたことはあるかどうかとか、次に同じ作品を別の場所でもう1回再演なのか再現なのか、再展示するとして、試してみたい展示プランややってみたらおもしろいかなって思うことなどがあれば教えていただけますか。 |
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宮崎 | まず作品自体は、梱包して、縮小するにあたって敷地内にコンテナを買ったので、そこに入れている感じですね。台座もしばらく残していたかな。1年くらい残していたっけ、あれ。blanClassのときには実物を3つくらい持っていって展示したので。 |
松本 | 4つ、4つ。 |
宮崎 | 4つか。それの前で西浜の合唱団をやったっていうのが1つ再演というか、2回目の展示っていうのがあったな。それが終わったあと、一昨年か、一昨年の年末か年明けすぐくらいに縮小案2回もあったから、やっぱり台座が一番どうしても場所を取るから、寸法とか測った上で廃棄っていうか。あとは紙ものに関してはどっちにしろもう1回出力するっていう感じになっているから、一応丸めてとってはあるけど、そこまでそんなに大事には扱っていない感じで保存している感じですね。 |
松本 | データは僕が持っているので、出そうと思えばすぐ出せちゃうっていうところで。どうしても、特にあれだよね、タイムライン展の作品に関しては台座が一番ボリュームが結局あったんだよね。 |
宮崎 | あと一番気になるハエ(展示された遺伝のモデル生物であるショウジョウバエ)ですけども、ハエに関しても逃しました。といっても、飛んでも行けないからあの人たちは(笑)。しばらく別の容器で飼っていたんだけど、なんか空気をもうちょっとよくしようと思って、大きいペットボトルを切ってそこにガーゼを薄めに貼っていたんですよ。そしたら、いわゆる普通のハエもそこに入っちゃって、普通のハエというかいわゆるショウジョウバエ、飛ぶやつ。そしたらそこで繁殖しはじめて、やけにハエが多いなみたいな。 |
松本 | だから飛べるようになったんだね。 |
宮崎 | いや、違う違う、飛べるようには。 |
松本 | いやだから、混血して。 |
宮崎 | 混血したかもね。 |
松本 | 世代が。 |
宮崎 | なんか多いなと思ったら。もうあかんあかんって言って。っていう感じですね。 |
松本 | 今、話しながら思い出したんだけど、そもそもあれ、前にやった「釘による肖像」(《釘による肖像 Likeness by Nails》2016年制作)みたいな感じで、シリーズできるよね、シリーズみたいにできるよねっていう話はしていたっていうのが1つあって。ただ、振り返ると「scratch tonguetable」のときもそうなんですが、ノーテーション、ダイアグラムでスコアでなにか作品つくるみたいなのが続いたから、岐阜(『ab-sence/ac-ceptance 不在の観測』(岐阜県美術館/2021年9月23日-11月28日)のときはそういった俯瞰的な視点じゃなくて、もうちょっと経験、ちょっと俯瞰で見るような感じじゃなくて、経験を伴うような、そういった作品にできないかっていう話にはなっている。逆に、タイムライン展のあのフォーマットっていうのが結構入り込んじゃったなっていう感じ。 |
宮崎 | 「scratch tonguetable」も結構その流れっていうかが大きかったっていうのが。 |
松本 | もしかしたら再演しているって言えば再演しちゃっているかもしれないっていうところはすでに。横浜のblanClassのやつはもう、もろ再演。 |
宮崎 | 展開っていう感じだよね。 |
松本 | 展開して、さらに無意識的にも、その影響下にあったのが「αM」での展示っていうのもあったかもしれない。あとは、横浜のblanClassのときは1個持っていかなかったんですよ。 |
宮崎 | なに持っていかなかったっけ。 |
松本 | なに持っていかなかったっけ。 |
坂川 | ハエ、ハエじゃない? |
松本 | いやハエは持っていった。うん、ハエは持っていって、なに持って行かなかったんだっけな。 |
宮崎 | あれじゃない? 天ぷらじゃない? |
松本 | あ、そうだ、天ぷらだ、天ぷら。天ぷらは持っていかなかったんだ。タジン鍋と天ぷらは持っていかないで、4つで展開して、かつ、場所に設置するときにゲタ外したんだよね坂川君、展示台の。 |
坂川 | 外しましたね、忘れちゃった。 |
松本 | 外して。ちょっと(会場の)タッパが低くなったので、そういった判断が入って、外すか外さないかっていう話になったときに、あと、壁の、窓を埋めるときのパーテーションがあるんだけど、その目地の関係とかもあって、ちょっと下に逃したほうがいいんじゃないっていうことになって、ゲタ外した状態で設置したんですよね。 |
坂川 | そうですね。 |
松本 | っていうようなことはしていますね。 |
宮崎 | あとね、そのときに考えて結局やっていないけど、あれをプロジェクションマッピングでやりたいなっていう。あれってダイアグラムとダイアグラム、2つ合わせた図になっているんだけど、事物そのものに文字を、ここはタジン鍋の外に天ぷらの衣みたいなのをプロジェクションマッピングしちゃったりとか、半分冗談みたいだけど。 |
松本 | プロジェクタを使ったプロジェクションじゃない、物理的なプロジェクションマッピングだよね? |
宮崎 | そうそう。 |
松本 | 物理的に杭打っちゃうみたいな感じで、ポイントを。 |
宮崎 | それはやれたらちょっとおもしろいかなっていう。 |
松本 | そうだね、確かにそれはあったな。 |
宮崎 | あと、この間のやつって1対1対応だったんですけど、もう1つ別の対応を、同じ図式で別の対応、そういうこともちょっと。要は二対、関係性をマッピングするみたいなところとか。あれって結構レトリカルというか、どうとるかで解釈が変わってくるから、別のものと、それを両方展示するみたいな。そういうのもありかもなと思ったりはしたけど。 |
松本 | あれもともと宇佐美圭司なんですよ。だから、関係性、宇佐美圭司は基本的に4つだよね。2つと、その倍数の4つとかっていう感じで展開していっているんだけど、やろうと思えば洪水みたいになるっていう感じがあるね。あれで洪水つくれるみたいな。 |
宮崎 | ちょっとストックしているっていう感じかな、アイディアは。 |
加藤 | 今ちなみに天ぷら(展示されたエビの天ぷら)とかどうなっているんですか。 |
宮崎 | 天ぷらはとってあったと思うけど、あまり触っていない。 |
松本 | 触っていないよね。 |
宮崎 | 触っていない。パックに入れて、なんか片付けるときに見た気がするけど、あまり変わっていないですよ。腐ったりとかも全然。 |
加藤 | 結構いけるんですね。水分吸っちゃったりとか、そういうことありそうだなと思ったけど、空気中の。 |
宮崎 | でもそんなにそこまでは吸っていないかな。油が切れきっていないから。 |
松本 | あるとすれば油で黄変するとかくらいでしょ。 |
宮崎 | そうだね、でももともと黄色いからね。 |
松本 | ちょっと茶色くなるか。でも、日に当てれば多分もとに戻ると思うんだけど、紫外線で。油にコーティングされているから水分を吸い直すっていうことなさそうだよね。 |
加藤 | お寿司(展示されたマグロのお寿司のプラスティネーション)はいけますもんね。 |
松本 | お寿司はね。 |
加藤 | お寿司は問題ないですよね、きっと。 |
宮崎 | タジン鍋も結局1回も使っていないからな。 |
松本 | 作品だからね。 |
坂川 | 1回くらい使いたいなと思っているんだけど(笑)。 |

作品に使用したタジン鍋

作品に使用したハエの飼育用品とガラスケース
RECORD
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- 「タイムライン」展 搬入記録映像
- 「タイムライン」展 井田照一作品展示替え記録映像
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